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2014年1月24日金曜日

「高い鼻」と「長い鼻」

 先日、Südwestdeutsche Zeitungに、某日経航空会社のテレビCMが人種差別だと取り上げられていました。なんだろうと見てみると、なにやら欧米人の「高い鼻」が差別らしいです・・・ なんだかなあ・・・ 日本人から見れば「高い鼻」でも、ドイツでは「長い鼻」で、あまり好印象はないようです。完全に美意識と無いものねだりのすれ違いだわ・・・ と思ったのですが、よくよく読んでみると、批判を書いている記者もそれはわかっているらしい。日本人が青い眼や、ブロンドなんかに憧れていることを。じゃあ、なんなんだ。となると、結局外見の違いを表立って表現することが全く「おもしろくない」らしい。
 正直にいうと、このCMは全くおもしろくないです。おもしろくないというか、何がいいたいのかよくわからないです。すみません・・・と、私の感想はさておき、何がいいたいかというと、これを書いている記者自身が相当、外見の相違を意識しているなということ。人種差別はもちろん私も反対です。しかし、正義感と思える意識もその度が過ぎると逆の差別意識を生み出します。これは気をつけないといけない。
 
 一昨日、感じのよいドイツ人の女の子が、知り合いの日本人女性に対して、指で眼をつりあげて見せてびっくりした、という話を聞きました。私も何十回と同じ状況にあったことがあります。この子どもはまだ人種差別なんていう意識はないでしょう。どこかで覚えてきたわけですね。どのような状況で覚えたかが気になります。

 高い鼻にしても、切れ長の眼にしても、複雑に入り乱れた観念が、その言葉の背後にどんと居座っています。その消化の仕方は万人それぞれであり、共通のものは決して存在しないはずです。

 さてさて、この航空会社の駅広告には、各都市、各民族衣装をきた人達が写っています。これが人種差別として撤去されたそうです。確かに、こんな人たちは、どこの都市にもほとんど見当たらないでしょう。けれど、これは人種差別にはたしてあたるのでしょうか。

 私個人ですが、実際に典型的アジア人の顔をしているし、着物は日本文化をよく表現していると思います。それに対して第三者が判子を押したように私に対して意見したとしても、なんとも思いません。事実ですから。

 「差別」という言葉自体にかくれた観念は、否定的なものばかりです。そのため、差別を語ることはとても難しいと思います。もちろん暴力的な差別はあってはなりません。けれど、各人の違いがあってこそおもしろいし、違いがなければその良さもわからないと思うのです。もちろん、違いがなければ、他人へのやさしさや思いやりも決して生まれてきません。
 

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