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2014年9月11日木曜日

タブレット端末と子供のコミュニケーション力 Tablet PC und die Kommunikationsfähigkeit von Kindern

 今夏、子供による凄惨な事件が日本でありました。かなり以前にも、似たような事件がありました。「人称」をテーマとした研究をしていた私は、このような事件の加害者である子どもの心の動きが研究内容と大きく関わっていることに気付き、度々関連する社会的動きを気にとめていました。
 子どもに「いのち」の大切さを訴える試みは日本各地でも見られます。しかし今日、たまたまそれらの努力に反するような話を耳にしました。というのも、タブレット端末を全国の児童生徒に、5年以内に教材として使用出来るよう文部省が計画しているそうです。そのテスト校となっている先生の口からは、コミュニケーション力が育つという話も飛び出し、正直に申し上げると不安を感じました。家で授業を予習して、学校でもまた端末を使って復習するというものです。
 子どもの大事な社会教育の場でもある、教室でのコミュニケーションがなくなるのは非常事態に思えます。先生の話を聞く、どきどきしながら手を上げてみる、先生に指されないか不安でもぞもぞしたり、テストを返却される時のそわそわ感、こっそりお友達とおしゃべりしたり、先生に怒られたり。そんな何気ない場の共有がどれだけ子どもの成長に大きく関わっているか想像もつきません。家庭でのテレビやゲームが問題視されていることと、先端技術の端末を使うことは別でしょうか?全く同じとは言えませんが、「あなた」「わたし」の呼応関係が成立しない点では同じです。人間は「あなた」「わたし」と呼び合い、すぐ反応が返って来る生の呼応関係が必要です。それがなくなると人物の等価物化がはじまり、自己内呼応で満足するようになってゆきます。ストーカーの心理状況と同じです。しまいには、呼応のあるべき人間が、ゲーム上のリセット可能な人物に近くなっていくわけです。タブレット端末を導入する財政余裕があるなら、もっと違うところにお金をかけましょうよ・・・

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