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2014年9月21日日曜日

虚(から)のままにさまざまな物の現われを待つ

 今日の日曜坐禅会は、当初森に経行に行く予定をしていたのですが、昨日から続く雨でいつも通り坐禅室での会になりました。
 経行のつもりで、人間と自然との関係を取り扱ったわかりやすい資料はないものかと、ここ数日色々と文献を探っていました。その中でも、私の内にすとんと入ったものは荘子の一文です。

「心の動きをまず一つにしなさい。耳で強いて聞こうとせず、心で聴きなさい。さらに心で聴くことすらやめて、気で聴きなさい。耳は聴くことしかせず、心は言語との符号しかしないけれど、気というものは、虚(から)のままにさまざまな物の現われを待つのですから。」

 我々は「心」に浮かんだこと、響いたこと、感じたことを、常に言語をもって解説、理解しようとします。そして、その言語背景には、今まで身体五感で経験したことが凝縮されています。たとえば「緑茶の味」といった表現が、人それぞれ実際の味覚が違うように、その意味するものが違ってきます。ここでいう、虚(から)のままとは、この無意識に行っている言語化作業以前の状態をあらわしています。
 自然のなかに身をおくと、わたしは言語作業が遠くにやられる感覚になります。しかし、この「感覚」と言っている時点で、言語化しようとしている証なので、まだまだこの一説には遠いです・・・いやはや、ひたすら歩くのみ。
 次の日曜坐禅会は晴れますように!

2 件のコメント:

  1. 次回、帰国の際は是非、神戸へ!六甲山を越えて有馬温泉まで歩きましょ♪ 6時間半、ひたすら樹海の中を歩いていると修行僧の気分に。。。で、到着して温泉に入って美味しくビールをいただいては修行になりませんがww

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  2.  いいですねー!ぜひぜひ一緒に歩きたいです。もう紅葉の時期に入りましたよね?山歩き大好きです、温泉うらやましいです。おいしいビールを欲する煩悩あってこそ、修行の意味がわかるとか・・・w 

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