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2015年6月2日火曜日

ウェーサーカ祭にて

 ちょっと今日は辛口です。
 先日、フランクフルトのウェーサーカ祭に行ってきました。その日は1日、色々な仏教系の団体が提供する瞑想、坐禅会に参加しました。チベット系から無所属系まで色々です。そのほとんどが、いわゆる誘導瞑想に近いものでした。誘導瞑想と日本語で記すとなんだか怪しく思えます。決して、幽体離脱や自己啓発を誘うものではありません。要するに、瞑想する人間が今何を感じるべきか、どのような呼吸をするか、といったことを言葉で誘導していくものです。ティック・ナット・ハンの指導法に近いかもしれません。
 この日の指導者達は残念ながら、疑問を投げかけずにはいられない方々ばかりでした。たとえば、「共感」を育てる瞑想の指導者が、参加者のちょっとした質問や行動に共感をもって指導するのではなく、怒りで対応するのは本末転倒です。真言系のグループの指導では、参加者に真言を唱えさせていました。この真言の意味についての説明がほとんどなく、参加者はむにゃむにゃとエキゾチックな言葉をなぞらえるだけです。30分という与えられた時間は確かに短いものです。何を目的とするかによりますが、このような一般に開放されたイベントでは、おかしな方向に進まぬように、言葉による説明が何よりも必要に思えます。実際に座る時間が短くなっても、言葉によるある程度の理解は、わからずに長く座るよりも有効でしょう。
 また、基本中の基本ですが、アクセサリーや時計を外す、携帯の電源を切るといったことができていないのはどうかと思います。個人的には女性指導者のきつい色合いのマニュキュアやメイクでさえ気になります。心身を正して座に向かう上で、まずは指導者自身がそれらを正して参加者に向かうことがなによりも大事に思います。

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