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2014年5月24日土曜日

ふくろう、横断歩道、こどもと反省会

 ふくろうの声が毎晩聞こえています。暗くなると窓を開けるのが楽しみになってきました。

 今日、娘とフランクフルト市内の横断歩道が入り乱れる交差点で気がついたこと。日本以外のどこの国でも、横断歩道の歩行者用信号は、走る車がいるときだけに皆が守っているのは、みなさんもとっくにお気づきかと思います。車がこなけりゃ、赤でも渡る。これが一般的です。しかし、子どもが横断歩道でまっていると、他の大人たちは一斉にじっと一緒に待ちます。どんなに急いでいる人でも、悪ぶっている若者でも、みんなじっと待ちます。200m先に車が見えなくとも、たった2.5mの短い横断歩道でも、まさに「子どものお手本」になるために。 時々、歩行者用信号のところに「子どものお手本になろう!」という標識をみかけますが、まさにこのことですね。今日は、信号を10回ぐらい渡ったので、実感せずにはいられませんでした。なんかいいな・・・と。

 こどもと反省会とは、これまた娘との座禅なんですが、最近始める前に一日の反省や目標をお互いに言うようになりました。これがまた正直にいわないといけないので、なかなかおもしろいことになります。娘は私におこられないようにがんばる・・・私はおこらないようにがんばる・・・と互いに同じことが気になっているのが露になるので、私は苦笑いせずにはいられません。ま、これでいいのかな・・・

2014年5月20日火曜日

ふくろう

 今、家の外でふくろうが鳴いています! かれこれ10年近くふくろうの姿を見なくなって、もうこの辺にふくろうが生息できる環境もなくなってしまったのかとがっかりしていたので、とても嬉しいです・・・

2014年5月17日土曜日

親子座禅会 Zaren für Familien

 今日の親子座禅会は、とってもおだやかな時間でした。座禅終了の警鐘がなっても、ずっとお母さんに寄りかかったまま気持ちよさそうに静かにしていた子どもさんから、「とても気持ちよかった」という言葉を聞いて、ほがらかな気分になりました。ご参加ありがとうございました。

2014年5月13日火曜日

「ポピーの会」と「東北六魂会」

 現在二つの「語る会」を企画しています。まだ、企画段階であり、興味のある方がどれだけいらっしゃるか未知なので、こちらブログのほうでどのような会になるかお伝えします。
 
 「ポピーの会」は、死別による悲嘆をわかちあう会です。死別による悲嘆が長引くにつれ、周りへの気遣いのあまりその悲しみを表に出せなくなっている方。或いは、最近身近な人を失くした方。自死による死別を経験されている方。子どもをなくされた方。震災や事故による死別を経験された方、などを対象にしています。
 この会では、日頃心の奥にしまっている悲嘆を皆さんと一緒に傾聴したいと思います。悲しみだけではなく、後悔の気持ちも多くの方が抱えているでしょう。誰かに聞いてもらうことで楽になるかもしれません。或いは、心の中が少し整理できるかもしれません。
 参加者同士の悲嘆の強弱の比較は、この会では禁止です。また、各人の信条の評価や押し付けも禁止です。そして、まだ語るのが難しいと言う方は、一緒に会を共有してください。それだけでも、悲嘆の只中にいる方の支えとなります。
 私自身、高校3年の時に親友を自死で失くし、後二人の友人が同じように自死を選びました。ここ最近では震災で親戚を失くしています。企画進行役としてだけではなく、一緒に語り、傾聴したいと思います。

 「東北六魂会」は、読んで字の如くです。どんな会に発展するかは参加者の皆さん次第です。震災後の悩み、死別悲嘆の共有傾聴は可能でしょう。或いは、ふるさと復興計画のことなど、一緒に話しませんか?

 
 

2014年5月3日土曜日

Zazen mit meiner Tochter 子どもと坐禅


 もうじき7歳になる娘が、ここ2週間ほどしつこく「いつ子ども座禅あるの?」と聞いてきます。彼女は「親子座禅会」の予約が入ると、一緒に座らせてもらっています。私は、彼女の質問にあうたびに、どうせ朗読を聴きたいだけだろう・・・とたかを括っていました。
 しかし、毎晩就寝前の朗読をしているにもかかわらず、彼女の質問攻撃は毎日繰り返されるので、固定観念を捨てて、とりあえず二人きりで座禅をしてみることにしました。すると、あらまあ・・・子どもって何に夢中になるか本当にわかりません。結局毎日、学校に行く前か、お休み前の5分間一緒に座禅を組むようになりました。
 私は娘に完全敬意を示さずにはいられません。(笑)わかっていないと思っていたのは完全なる私のエゴでした。娘は二人きりでの座禅で、朗読も歌もないにも関わらず、きっちり5分間呼吸を意識して座っています。このわずかな時間が、とても平和で調和のあるもので、言葉に表せません。私と娘は血のつながりはありませんが、子どもが母親の胎内にいるときの双方の呼吸の心地よいリズムを聞きあっている感覚は、このようなものなのかもしれない、と思いました。

2014年5月2日金曜日

対馬盗難仏像

 このニュース読まれた方もいらっしゃると思いますが、とてもいい話だなと思いました。もちろん訴えが棄却されたことではなく、訴えた韓国の二名の僧侶の方の気持ちが伝わってくるなと・・・常日頃、歴史問題で非友好的な面ばかり取り上げられていますが、この話は、両国間の一歴史、精神的結びつきがあったことを少し思い出させてくれる気がします。
 http://www.yomiuri.co.jp/world/20140502-OYT1T50098.html