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2015年4月26日日曜日

恵光センターにて

 先日の土曜日に、デュッセルドルフにある恵光センターを訪れました。以前からセンターで行われている学術プログラムに興味があり、何度も訪れたいなとは思っていましたが、なかなか機会がありませんでした。ドイツにはかれこれ20年近く住んでいますが、デュッセルドルフは全くの未開の地です。(よく在独日本人の方に驚かれます…)今回はデュッセルドルフ在住の知人の50歳の誕生日パーティに招待されたので、ここぞとばかりに行ってきました。
 まず驚いたのは、恵光センターの日本庭園の美しいこと!手入れの行き届いた庭園は、春の花が咲き乱れていて素晴らしかったです。
 そして、久しぶりに仏教学専門の先生から、最新の研究について直接話を聞くことができたのがもちろん一番の収穫です。学生の頃下田先生が授業で、大乗仏塔起源説についての新しい見解を熱をこめてお話しされていましたが、先生の見解が今や主流になっているということを聞きました。日々新しい研究成果が、日の目をみてゆく状況をちょっと垣間見た気がしました。また、2世紀頃のインドでは、僧侶が葬儀に参加することが認められていたことが明らかになったことなど、知らずにいたのでとても勉強になりました。
 デュッセルドルフに住んでいたら、このような学術プログラムに毎回参加するのに…と、ちょっと在デュッセルドルフの方が羨ましくなりました。
 

2015年4月15日水曜日

幸せとは?

 Metta Meditationとよばれる「慈悲の瞑想」があります。自分のみならず、あらゆる他人、そして生き物への幸せを悲願する瞑想です。キリスト教でいう祈りに似ているかもしれません。ここで大事なのは、自利のみではなく、敵さえも含む利他を願うこと。
 色々な「慈悲の瞑想」におけるテキストがありますが、どれにも必ず含まれる「幸せでありますように」という一文。今日、坐禅会にて「幸せ」とはなんぞや、ということが話題にのぼりました。人それぞれその定義は違うと思います。しかし、私たちは他人から見た「幸せである自分」に基準を置きがちのような気がします。他人がみている「私」を、どんなに努力しても見ることはできません。それなのに、無理にそこに合わせようと疲労困憊、空回りしているのが、情報過多社会にいきる私たちです。
 ここ数年、坐禅を通した実感として感じていることは、今この瞬間のみを完全に意識的に生きることができたら本当に幸せだろうなと思います。要するに、過去や未来にこだわらずに今この瞬間を精一杯生きることです。感傷的に聞こえるかもしれませんが、本当にこのように生きれたら、感傷に浸る暇もないほどの刺激的な毎日になるのだろうと思います。

2015年4月5日日曜日

Religion !?

 Letztens haben die Kinder beim Warm-up von Training angefangen zu diskutieren,  was für Besonderheit jeder Religion hat. Sehr Interessant ! Ich habe einfach zugehört, was die Kinder reden.
"Die Muslime glauben einen gleichen Gott wie Christ."
"Irgendwie bin ich evangelisch."
"Meine Religion Lehrerin ist nicht nett"
bra bra bra bra
"Buddhisten sind Drogen Abhängig. Sie kiffen immer."
HÄ!?
Es war sehr lustig und schwierig um die Klappe zu halten. Trotzdem habe ich gut geschafft ;)