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2015年4月15日水曜日

幸せとは?

 Metta Meditationとよばれる「慈悲の瞑想」があります。自分のみならず、あらゆる他人、そして生き物への幸せを悲願する瞑想です。キリスト教でいう祈りに似ているかもしれません。ここで大事なのは、自利のみではなく、敵さえも含む利他を願うこと。
 色々な「慈悲の瞑想」におけるテキストがありますが、どれにも必ず含まれる「幸せでありますように」という一文。今日、坐禅会にて「幸せ」とはなんぞや、ということが話題にのぼりました。人それぞれその定義は違うと思います。しかし、私たちは他人から見た「幸せである自分」に基準を置きがちのような気がします。他人がみている「私」を、どんなに努力しても見ることはできません。それなのに、無理にそこに合わせようと疲労困憊、空回りしているのが、情報過多社会にいきる私たちです。
 ここ数年、坐禅を通した実感として感じていることは、今この瞬間のみを完全に意識的に生きることができたら本当に幸せだろうなと思います。要するに、過去や未来にこだわらずに今この瞬間を精一杯生きることです。感傷的に聞こえるかもしれませんが、本当にこのように生きれたら、感傷に浸る暇もないほどの刺激的な毎日になるのだろうと思います。

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