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2013年11月30日土曜日

四諦 Die vierfache edle Wahrheit

 いよいよ明日からzenzai53の新スタートです。やっと静かにみなさんと座れることを心から嬉しく思います。
 日曜坐禅会では経典に少し触れるのですが、第1回はどうしようかなと迷った挙句、やはり初心にかえって、四諦をとりあげることにしました。日頃使われている、「四苦八苦」の語源ともなった初期仏教教義の基本です。
 「人生はね、ほんとは楽しくて素晴らしいはずなんだってば!」という発想から展開するか、「人生はね、もうぜんぜん辛くて苦しいことばかりなんだよ・・・」という発想から展開するか、と、疑問を呈せば、仏教は断然に悲観的な後者です。そして、楽観でも悲観でもない、その中間におちつくことを理論付けているのが四諦でしょうか。



2013年11月27日水曜日

計名字相


ドイツは通りの名前と番号さえわかっていれば、大体間違いなく目的地にたどりつけます。しかし、それも家の番号がきちんと表示されている場合に限ります。
 案の定、私たちは番号を付け忘れており、引越し後初めてのお届けものは、おかしなものとなりました。

 配達人 「ここ9番地の、シュヴァルツ(黒)さんち?」
 私 「そうです。」
 配達人 「(イライラしながら)もうー ちゃんと家番号つけといてよ。」
 私 「あっ! そうですね、すっかり忘れてた。すみません。」
 配達人 (受領確認の作業をしながら)「で、あなたの名前は確かゲルブ(黄)さんね。」
 私 「・・・へ? 笑」
 配達人 荷物を置いて怖い顔で無言で立ち去る。

 ドイツ語がお分かりの方はなんとなく、この雰囲気がわかるかと思います。要するに、私の苗字は日本語的に言えば「黒田」。そして私はこの国で言えば「黄色い黄色人種」、だから配達人は、「黒田」としりつつも、「(黒田じゃなくて)黄田さんでしょ?」ときたわけです。
 私は一休さんばりの機転に笑ってしまいましたが、配達人は怖い顔して無言で立ち去りました。私が笑ったのがきっとおもしろくなかったのでしょう。嫌な顔をしていてほしかったのかもしれません。
 いずれにせよ、これはまさに計名字相ですね。言語表現から結びつくあらゆる感覚に縛られてしまうことです。白黒黄色人種。と、世間一般には3色に人類はわかられることになっていますが、多くの人が気付いているように、こんな3色で人間は実際には分けられません。けれど、わけてしまうことで簡単にイデオロギーを成立させやすくなるのも事実です。
 実際に、笑ってしまった私自身、この計名自相に縛られている証拠です。黄田さん→黄色人種→私。確かに、白くはありませせん。真っ黒になるのは夏場だけです。現在、薄茶色と、黄色っぽい肌色が混ざった肌に、茶色い点々が大小限りなくあります。ふむ。面倒なので、分けるのはやめておきましょう・・・




2013年11月22日金曜日

坐禅会の参加費について Teilnahmekosten für Zazen

 坐禅会の料金についてよく「安すぎる」「逆に怪しい」といった意見を頂戴します。私なりのポリシーや希望として、

1.坐禅会に何度も足を運んでいただきたい
2.坐禅会は決して「コース」ではなく、同じ目的をもった人間が時と場所を共有するためにある。
3.私自身は知識を共有する上でのアンテナ役である。

 といった3点を常に念頭において行っています。この3点に見合う料金であると私自身は納得しています。とくに、上記1,2はかかせないものです。そして私自身、「怪しい」ことがとても嫌いな性格ですので、上記3においては常に、最新の学術発表を追い、私なりに消化判断したものをみなさんに伝えております。
 「きっと当日壷とか買わされるんじゃないのー?」はいはい、妄想はそれぐらいにしておいてください、来てみてきっとがっかりしますので・・・

 
 ich bekomme oft Feedback über Kosten für Treffen. Meistens sagen, "zu billig " "wenn es zu billig ist, vertrauen die Leute das Treffen nicht." hum. Meine Idee ist

1. ich wünsche mir, dass die Leute nicht nur ein Mal sondern regelmässig kommen.
2."Treffen für Zazen" ist kein Kurs. ich biete einen Ort und Zeit für den Leuten, die das gleiche Ziel haben.
3. ich bin wie eine Antenne um Kentnisse und Info gemeinsam zu besitzen.

 ich finde 5 EUR völlig Fair um solche Ziel zu halten. Naturlich gebe ich immer Muhe, als Punkt 3, immer um richtige Richtung zu suchen und keine unakademische unvertraubare Info zu vermitteln.
 keine Sorge, ich verkaufe keine Power Stone oder Energie Accessories so was ; )   

2013年11月18日月曜日

黒猫のクロ schwarzer Kater

 ご無沙汰しています。ブログの更新が大分あいてしまいました。

 この1週間は黒猫のクロへの心配事やらなんやらで過ぎていきました。クロは外内飼いです。クロは本当はお隣さんの猫だったのですが、何故かいつも、うちの玄関でじっとドアが開くのを待っているので、いつの日か正式にうちの養子となりましたw。雪の日もじっと雪をかぶりながら、朝にドアが開くのをまっていたのです・・・ なんとも養子と縁のある私です。
 クロは家の中で用を足したことがありません。クロが力んでいる姿を見たことがありません。故に、クロが新環境に慣れるまでに網で外に囲いを作り、家の中をマタタビのにおいで満たして・・・などと準備した上でクロを新居につれいくことにしました。この環境が整うまでに私はがらんとした旧居の床の上で、クロと一緒に寝袋で睡眠。そろそろ私の関節痛が限界になりかけたころ、やっとクロの引越し決行となりました。
 「クロちゃん、絶対古い家に戻りたがるよね・・・」
 「新しい家はきっと嫌だよね・・・」
 「クロちゃん、ちゃんと新しい縄張り作るかな・・・」
 など、心配はチョモランマのごとく高く積もりました。しかし、新居に到着したクロはすぐにベットの下にもぐりこみ出てきません。半日過ぎ、1日過ぎ、1.5日過ぎ、そろそろクロの用足しがかなり心配になり、使わないとはわかっていたのですが、猫トイレを設置しました。猫砂を容器に入れ、波が引いた後のごとく、砂を美しく平らにして設置。その瞬間に、クロがほっとしたように眼前で用を足しました。思わずダンナとハイタッチ。いやはや、動物ってわかりません。人間がわかっているように思うのがそもそものエゴですね。実感しました。
 その後のクロは完全に座敷猫になってしまいました。外に出ようとしません。時々窓から外をみてそわそわしていますが、外には出たがらなくなってしまいました。旧居ではいつも、木に登ったり、ねずみを自慢げに捕まえてきたりしたクロを思うと、とても責任を感じます。クロの一番楽しかった環境を奪ってしまったような気がします。
 そのクロが、今日は短い時間ですが自分から外に出て行きました!とても嬉しかったです。クロがまた楽しい環境を見つけられるように、全力を尽くすのみです。

 
 Ein schwarzer Kater von meiner Nachbarin hat immer, egal was für Wetter, vor unseren Tür auf uns gewartet. Wenn ich dir Tür offnete, kommte er sofot rein und machte ganz gemütlich auf dem Cauch wie beim seinen Haus. na gut, ich habe dann den Kater adoptiert. Das war unsere erste Adoption ; )  Der heisst KURO. Kuro bedeutet "Schwarz" in Japanisch. ich heisse auch Schwaz. Wir haben zufällig einen gleichen Familien Name ; )

 meine grosseste Sorge des Umzugs war Kuro. ob ihm das neue Haus gefällt oder nicht ? will er nach sein altes Revier zurück kehren oder nicht ? Kann er von schnellen Autos rechtzeitig weg fliehen ? u.s.w. Unsere alte Wohnung lag in einem Naturschutzgebiet. Er kennt nicht gut die Autos. Hier liegt das Haus sich auch in einem ähnlichen Ort, aber es gibt bisschen mehr Autos als früher....

 mit vollen Aufregung ist er eingezogen. und jetzt. er will nicht mehr raus gehen !! das haben wir nicht gerechnet... klar. es ist besser, dass er weile das neue Haus und den Ort in Ruhe kennenlernt. Aber ich vermisse auch den Kuro, der immer auf Baumen kletterte, ganz Stolz die Mause jagte...

 ich habe viel nachgedacht. Das war völlig mein Ego, dass ich dachte, das ich ihn sehr gut kenne. So ist es eigentlich alle Beziehungen zwichen Menschen und Tieren. Wissenschaftlich kennen Menschen viele Sachen über Tiere. Aber was Tiere wirklich wollen und denken können Menschen nicht wissen.

 ich muss einfach mitführen und denken, was Kuro will. ich gebe Mühe, dass Kuro glücklich und natürlich leben kann !




 



2013年11月9日土曜日

清貧の思想 edelmütiges Geist

 やっと引越しも落ち着いてきました。四畳半の和室も完成し、まもなく座禅会再開の予定です。再開日はHP(www.zenzai53.com)とFacebook(https://www.facebook.com/pages/Zenzai53/386640038012816)にてお知らせします。


 引越しの間中、頭をよぎっていた一冊が、確か20年ほど前に出版された「清貧の思想」です。物質においても、欲望においても、最小限の状態で満足できる幸せと人間としての高貴さを、日本の歴史上の人物をおいながら書かれたものだったはずです。そして、ブッタの在世時の出家者の身軽さも常に頭の中をよぎりました。
 前置きはさておき、何が言いたいのか・・・ 言いたいことは、「なんとまあ多くの物質に私は縛られて生きているのだろう!」ということ。限りない数の引越しのダンボールをつめて、それを片付けるごとに、自分で自分の首を絞めていることを実感しました。苦笑
 2000年ほど前の出家者は、糞掃衣(ふんぞうえ)とよばれる捨てられたボロキレを継ぎ合わせて衣とし、持ち物は托鉢用の鉢一つだけで生活していました。そして、その鉢さえも時にはひろった頭蓋骨で満足・・・などという、まさに「こだわらない」清貧生活そのものだったそうです。
 私もその精神に少しでも近づきたく、日々反省あるのみです・・・

Endlich bin ich umgezogen. Das kleine japanische Raum ist auch endlich fertig aufgebaut. Bald findet wieder das Treffen für Meditation und Buddhistische Text-Lesungen statt. Info wird in HP (www.zenzai53.com) oder in Facebook (https://www.facebook.com/pages/Zenzai53/386640038012816) erscheint.

Während dem Umzug habe ich oft über ein altes jap. Buch "Seihin no Shisou" gedacht, das ich ca vor 20 Jahren gelesen habe. Das Buch ist über edelmütiges Geist geschrieben, der nur mit weinige Material und Bedürfnis zufrieden sein kann.

Was will ich sagen ?! Ja, ich will nun sagen, dass ich mit so vielen Material abhängig bin :...( Während ich Umzug Kartons eingepackt und ausgepackt habe, habe ich es total gemerkt. tja. sehr schade.

vor ca 2000 Jahre hatten Bikku nur ein altes ausgenütztes Stoff als Klamotten und eine Schale um Essen zu bitten. eine Schale konnte mal ein Skelette sein... Trotzdem waren Bikku unabhängig von Material und unnötige Stereo Typ. Sie wussten echte Freiheit.

Tja, ich muss mal nachdenken...