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2014年2月16日日曜日

仙台 大雪 河北新報

 ドイツでもニュースで取り上げられるほどの大雪が日本で続いているようです。私の実家仙台でも例年にない大雪で、屋根の雪が歩行者の上に落ちないだろうかと私の両親が心配していました。また、除雪車が来てくれたのはいいが、除雪された雪で逆に外に出られなくなったと苦笑いしていました。
 仙台は奥羽山脈のおかげで、東北の中でも日本海側にくらべて豪雪にはなりません。とはいえ、子どものころ、それも二学期の終業式で通信簿をもらってきたその日に大雪、停電となり、ろうそくの明かりの下で通信簿をみながらクリスマスケーキを食べたことを覚えています。(当時は昭和の時代でしたので、12月24日が終業式でした。)地球温暖化のため、現在は積雪量は少なくなっています。しかし今日、両親の愚痴を聞きつつも、私は子どものころの雪の思い出に懐かしくひたることができました。
 そして故郷を思うと、未だに仮設住宅に住むことを余儀なくされている被災者の方々はどんなにつらいだろうかと想像せずにはいられません。特に、子どものころの思い出がつまった海岸地域のことを思うと胸が痛いです。
 震災からもうすぐ三年がたとうとしています。色々な捉え方があると思いますが、私が子どものころから親しんでいる、仙台の地方紙の河北新報さんには、これからもずっとその記憶を伝えていって欲しいと思います。 http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1088/index.htm
 
 
 

2014年2月6日木曜日

スポーツと中道 Sport, "Chudo" und "Zazen"

 先日、オリンピック金銀銅メダリストのある体操選手のお話を聞いてみましたら、たいへん興味深く、こんなところにも中道が・・・と思ったことをお伝えします。(中道とは仏教用語で、何にしても極端に走らないことを良しとすることです。)
 私も日頃スポーツに関わる人間なので、自分の能力を100%以上出せれば最高!などと考えることはよくあります。しかし、これが間違い、とこのメダリストは語っていました。
 よく、短距離ランナーがスタート時に肉離れをおこしたり、優勝候補といわれていた人間が突然タイミングを狂わせて失敗したり、といったことを目にします。これは、彼らが150%の力を出すつもりで、意識は興奮状態にあるのに反して、身体は100%の状態までにしか準備できていないので、身体がついていけなくなるためだそうです。なるほど、そうだよなあ、自身の最高状態は常に100%であって、それ以下は常にあり得ても、それ以上なんて突然でるわけがない。だから、試合前に興奮して自分を落ち着かせようとしている時点で、負けているんだ。ということを言ってました。まさに平常心の勝利ですね。すごいなあ、世界のトップにたつアスリートは心も並ではありません。
 
 更に、興味深かったのは、経行会(歩く坐禅)や観想(ヴィパッサナー)と全く同じことが、スポーツの世界でも重要だということ。これは私も気づいていましたが、トップアスリートから判子を押してもらったようでとても嬉しいです。要するに、自分の身体の動き一つ一つが常に意識下にあるということです。どんなに一瞬のできごとでも、ひとつひとつの確認作業がないと失敗すると言っていました。例えば、体操の鉄棒競技は2本の高低差のある鉄棒間を動くわけですが、鉄棒から手が「離れた」鉄棒に「触れた」、次の鉄棒を「握った」という正に一瞬の出来事でさえ、その確認を怠って焦ると、鉄棒を握り損ねるそうです。これはまさに、経行で皆さんと一緒に訓練している足の動きの確認作業とまさに同じですね。武道に限らずあらゆるスポーツに坐禅や経行は生かせると確信しています。そして、すべてにおいて極端に走らず中道をゆく。競争の世界では難しい発想ですが、それが100%の力を出し切る道に一番近いと思います。

  letztens habe ich ein Interview von einem Olympia 3 Fach Medalist von Turnen gehört. Seine Erzählung über Wettkampf hatte auffallende Ähnlichkeit mit der buddhistischen Ansicht.
 ich arbeite regelmässig für Sport und denke oft, wenn ich mehr als 100% Kraft geben könnte, wäre es spitze ! Aber er meint das, dass ein Irrtum ist.
 z.B. Es gibt ab und zu traurige Fälle, die Favoriten für 100m Lauf kurz nachdem Starten die Zerrung bekommen und aufgeben müssen. oder plötzlich verlieren die Favorieten Rythmus beim sprigen. Er sagte, die Ursache kommt von den Unterschied zwischen der Aufregung und der Realität von physikalischen Kondition. Obwhol man mental bereit um 150% Kraft ausgibt, ist der Körper max 100% bereit. Der Körper kann logischerweise max 100% Kraft ausgeben, mehr nicht. Deshalb hat man schon verloren, wenn man vor dem Wettkampf sich beruhigen lassen soll. wao, der spitzen Sportler hat nicht nur körperlich, sondern auch mental total spitze. Seine Aussage finde ich genauso wie "Chudo". Chudo ist ein buddhistische Begriff, dass man nicht immer extrem treiben soll. Wenn man nicht extrem treibt, bekommt man das beste.
 und was noch Interessant war, die Aufmerksamkeit, die wir immer beim Gehmeditation oder Vipassana Meditation üben, völlig wichtig beim Turnen. ich habe das immer gemerkt und wollte für Sportler beibringen. ich freute mich, wie meine Idee von dem Top Sportler Bestätigung bekommen hat ;) Jeden Falls erzählte er, dass er immer allen Bewegungen bewusst sein muss. zum Beispiel muss er zwischen zwei Reck "Hände sind weg vom Reck", "Hände berüht das Reck", "Hände greifen das Reck " innenhlab wenigen Sekonden bewusst seine Bewegung bestätigen. Wenn er diese Aufmerksamkeit vergisst und eine Bewegung überspringt, schafft er nicht das Reck greifen.
Diese Aufmerksamkeit Übung ist genauso gleich wie wir beim Gehmeditation üben.
 ich bin fest überzeugt, dass Zazen und Gehmeditation für Sportler wirklich behilflich sein können. Beim Baseball und Softball helfen 100% natürlich ; )
 Es ist sehr schwierig, dass wir "Chudo" beim Sport halten. Aber wahrscheinlich ist der kuzeste Weg für einen Sieg.
 
 

2014年2月3日月曜日

自主上映映画鑑賞会

 昨日、いつも坐禅会に来ていただいている女性からのお誘いで自主上映の映画鑑賞会に参加しました。会場は某日系企業の立派な会議室。週末に場所を提供してくださるなんて、社員思いの素敵な会社だなと思いました。会場には約20人~ほどの方が集まっていました。映画の内容は、一先生と身障者との繋がりのドキュメントです。
 上映後には参加者の方とのお茶会。初参加者は私を含めて2名でした。その私たちのために、みなさん自己紹介してくださいました。お話を聞いていると、映画の内容だけではなく、まさに色んなところで繋がりを感じざるを得ない方々ばかりで驚きました。
 まずは映画の内容での繋がりですが、私の娘も軽い障害をもっています。そして、私は遠い大学生時代に仏教文化以外に、ペルーの古代文化も研究していました。そして、象徴的に出てくる子どもが描いた観音様の絵。私は常日頃、娘や猫のクロを観音様の化身と思うようにしています。観音様が容赦なく私を試している・・・と。笑 すみません。映画を見ていない方はなんだかよくわからないですよね。
 そして、人との繋がり。ウォーキングを主催されている方とは、経行(森の中を歩く坐禅、瞑想)を。キリスト教徒の方の意見は、まさに当日午前中の坐禅会で聞かせれた一参加者(キリスト教徒)からの声と同じものだったり。また、DNA研究をされている方もいて、私自身が持つDNA異常を思い出したり。はたまた、知人とおなじアパートに住んでいる方がいたり。そして、ヴィパッサナーを体験している方がいたり。
 みなさん、「よく生きること」にとてもポジティブ、かつ積極的な方ばかりで、よい刺激をうけました。また、お会いできたら嬉しいです。主催のMさん、お疲れ様でした。どうも有り難うございました。