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2016年3月21日月曜日

教養としての仏教勉強会

 日本ではまったく普通のことである「無宗教」も、海外では「不寛容」と受け取られることも多々有ります。信じる信じないは脇に置いて、とりあえず日本文化の根底を支える仏教についての基本を一緒に学びませんか?5月11日より4回に分けて、宗派を超えた仏教の勉強会を開きます。お茶を飲みながらの気楽な少人数の会です。詳細はホームページよりご参照ください。http://www.zenzai53.com/werbung

2016年3月18日金曜日

震災5年 メディアを通して思うこと

 3月に入ってしばらくブログ更新が滞ってしまいました。震災5年目ということで、あちこちのメディアで被災地の今なるものが取り上げられ、しばらくネット漬けでした。そして、5年目という区切りの年にあたり、至る所でドキュメントフィルムが上映され、テレビでも特集が組まれています。久々に故郷を映像とコメントを通して見てみると、なんとも言えない感情が沸き起こります。
 5年の節目に阿部首相は、いろんなところに出没して復興をアピールしてますが、実際、復興が進んでいるところにしか顔だしていませんよ。復興が進んでいない土地のほうが多数ですが、そちらに顔を出す勇気はもちろんないですよね。自民党の皆さん、震災当時双葉町の被災者のデモに雁首をそろえて復興を誓っていましたが、あれはどうなったんですか?結局ただの政局奪還のためのプロバカンダだったのですね。とっくに予想はしていましたが。もっと言わせて貰えば、オリンピックよりも復興のほうに時間も税金も使って欲しかった。オリンピックで日本の復興の様子を世界に見せて、何か変わりますか?東北人がいつまでもじっと我慢して、世界にお礼の言葉をむけるだろうなんてシナリオはお断りです。そしてまたオリンピックを理由に、被災地に浅はかな知識しか持ち合わせない取材班が押し寄せるほうが迷惑です。そして東京電力、被災者への補償を自分の客から少しづつこっそりと徴収してゆく手法は、まったくもって賊徒です。
 
 ちょっと落ち着いて… ドイツの映画監督ドリス・ドリーも福島を舞台に映画を製作して昨日公開なりました。鑑賞後の感想をここで報告します。

 

2016年3月10日木曜日

感謝の気持ち

 先日の坐禅会で、参加者の方が「感謝の気持ち」をいつも高めることはできないだろうか、とおっしゃっていました。普段、子供と接する時にイライラしたり、他のお母さん方と自分を比べてしまったり、旦那とうまくいかなかったり、毎日が葛藤との戦いだと彼女は言います。けれど、自然の中を歩いている時は、そんなことをふっと忘れてただ、「今、ここ」にいることを実感できて、感謝の気持ちが湧いてくる。その感謝の気持ちはいつしか家族の存在にむかっていく。どうしたらこの気持ちを持続させることができるだろう、とおっしゃていました。
 彼女のような経験をしたことがある人間はたくさんいると思います。自然のなかにいる間は感謝の気持ちが持続できても、普段の生活に戻るとあっという間に、いろんなモヤモヤした葛藤の嵐とともに吹き飛んでしまう。どこか嵐に巻き込まれない安全地帯を確保できれば一番いいのですが…
 人間の心の動きをみごとに記した仏教論書「大乗起信論」は、このような心の動きを海にたとえています。月が輝くおだやかな海面、わずかに動く小波、あるいはサーファーが喜びそうな大波、そして喜べない津波…と、海の表面は心の動きに合わせて動いています。がしかし、荒れた海面から深く潜れば、そこは静けさをたたえた別世界。同じ「海」でも、全く違った顔を見せています。
 感謝の気持ちは、心の海面に漂っているだけではなんだかよく実感がわきません。波に逆らわず身を任せることで体力温存し、そこから潜って上を見ると状況がよく見えます。これと似て、自然の中でふと感謝の気持ちが湧いてくるのは、自分を自然に任せ、自然と一体となった時に、人間関係の違った側面が見えてくるからのように思います。
 外的な安全地帯を自然の中に見出せるとしたら、内的な安全地帯はもう自分の心の中、その持ちようしかないように思えます。それは日々の坐禅での訓練で得られる、中道を見る感じる気づくという実践が心の安全地帯となってゆくように思うのです。