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2017年12月14日木曜日

清貧の思想2 シンプルな生死

 以前「精神の思想」という本が昔あった。というようなブログを書いたことがありますが、命の限りという視点に立つと、これまたこの「清貧」という言葉が身近に迫ってきます。
 癌宣告を受けて私がまずはじめたこと。これが「不要な物質を捨てる」ということ。もともとあまり物をもたないほうですが、更なる断捨離を実行しています。自分が死んだ後に、夫に処理させるのは申し訳ない。それだけの理由です。
 「清貧」ということばは、物がなく貧しくても清々しい、という現代的な読み方では間違った理解につながります。私欲がなく清々しいということが本来の意味です。ここには余計な「貧しくても」という意味合いは含まれません。
 常に止観(サマタとヴィパッサーナ)の意識下で日常を送れるようになると、おそらく日常の雑事が不必要になってくるのでしょう。今日着る服、お茶を飲む器、週末に見る映画、来年の夏休み…なんてことはどうもよくなるというか、今ここに特に必要差し迫るものではなくなってゆくのだと思います。そうすると、自然とシンプルな暮らしになってゆく。
 人間の生死は究極的にはシンプルです。生まれて、そして死ぬ。しかし、これがなんとまあ難しく、ありえない現代社会に私たちは生きています。できるだけシンプルにさらっと人生を締めくくりたいものです。

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