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2016年9月5日月曜日

「空気が読めない」より「押しが強い」ほうが苦手…

 今日の座禅会で出た話題について。いわゆる「押しの強い」「我が道を行く」さらに、現代用語で言えば「空気の読めない」人をどうすべきか。
 まず、この「空気を読めない」という話題は、正直言うとどうでもよい。空気を読めない、と嘆いている時点でかなりの割合の、大きな勘違いと、相手への期待と、自分勝手がまかり通っていると思うから。そもそも一つの状況を同じように感じていないことへの不満は、本人の問題。同じように感じることができる人間などどこにもいるはずがない。それを、いかにも「思いやりのある人間」かのように、「私は空気が読める人間」と思っている人間ほどおぞましいものはないと思う。相手の感じていることが、私とは違うはず、しかし、それをどうにかして理解したい、と努力できる人間が本当の意味での「思いやりのある人間」でしょう。KYで人を片付けることはとても危険です。自分自身の思いやりのなさを露呈するようなものです。
 そして、「我が道を行く」ことについて。これは、時と場合によりけりです。白黒かなり極端に転べる表現ですよね。
 今日問題となるのは、「押しの強い」ということ。私も未だに苦手です。なぜなら、はっきりと押しの強い申し出を断れない自分に苛立つから。w 本当は自分に苛立っているのに、その苛立ちが方向転換して相手に向いてしまう。「なんて押しが強いの、この人!」と… しかし、勇気を出して最初からはっきりと断ったとして、それでも相手が食いついてきた時、或いは明らかに「なんてあんたは怖い嫌な人間なの」的な態度を取られた時どうするか。大体の場合、イライラに火がついてしまいますね…そして、このイライラは、勇気をもってとったはずの自身の行動結果の不成功を呪うわけです。w そして堂々巡りがはじまる。じゃあ、どうすればいい? 正直に言うと、私もよくわかりません。ただ、私が最近心がけているのは、大げさなほどのユーモアでイライラを返すこと。半分嫌味に聞こえるようなことも、ユーモアであることを全身全霊で表現しつつ返すと、やってる自分に笑え、更には今何にイラついているのかよくわからなくなり、ジェスチャーもバカバカしく思える数秒後には、けっこう冷静になっていたりします。その瞬間にもう一度、相手に提言する。そうすると、大体の人に自分の気持ちは伝わっているような気がします。w

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