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2015年11月22日日曜日

死について考えろ!?

 ドイツ人の知人が某キリスト教団体主催の、禅瞑想(ドイツ語直訳)に参加したそうです。好奇心旺盛で勉強家の彼はすかさず私に聞いてきました。「座禅している間、目はとじなきゃいけないのか?」「そこの禅の先生は、いつも死のことを考えろって怖いくらい脅すんだけど、それが禅仏教なのか?」さすがに二つめの質問には苦笑してしまいました。  私は座禅会参加者の方には、なるべく目を開けているように伝えています。なぜ座禅するのか?答えは明らかで、よりよく生きる為です。この「生きる」の中には、もちろん死も含まれています。そして、日常生活の大半は目を開けて過ごしています。目を閉じた状態でだけよりより状態にもっていけても、普段の生活には何の役にもたちません。また、目を閉じると妄想がかえってたくさん湧いてきやすくなります。そのまま眠り込むことも簡単です… 逆に、一部のヨーガ瞑想のような、なにかと一体化を目指す場合には目を閉じた方が入りやすいでしょう。  「死について考えろ!」と怖い顔で脅されながら目を閉じて座禅を組んだら、妄想の嵐で心音が一気に速くなりそうです。w 死に至る過程を考えるのか、その瞬間を考えるのか、死後のことを考えるのか…一口に死について考えろといわれたら、多くの人はこのようなことを思い浮かべるのではないでしょうか。死を考えることは同時に生を考えることにつながるはずです。そこを忘れて、死の恐怖に立ち向かう方法だけを思案することになってしまっては、おかしな信仰に繋がりかねません。また、死を考えることが中心になるあまり、今ここ、に生きていることが疎かになるのはおかしな話です。生死双方への意識バランスがとれたところに初めて「よりよく生きる」意味が見いだせると思うのです。

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