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2015年11月10日火曜日

いじめる側のこと

 ずっと書こうと思っていたことです。日本では、いじめによる自殺が起こるとメディアがこぞって亡くなった子供のことばかり書き立てます。いつどこで誰に相談したとか、直前には普通に話をしていたとか。いじめられた側の立場にたって、どんなにつらかったかシミュレーションします。読む側は本当にいたたまれない気持ちになることは間違いありません。しかし、いじめられた側の詳細な報告はあっても、いじめた側について書かれたものは、猟奇犯罪的なもの以外はほとんどありません。きっと、犯罪特定できない未成年について書くことは人権問題につながるという配慮でしょう。いじめによる痛ましい事件が起こると、亡くなった側の子供への同情と、はっきりしない大人の今後の対策予定の話でいつも終わってしまう。これでいいのでしょうか?私はいじめる側の人間の家庭環境問題や、心の闇をもっともっとつっこんでケアするべきだと思います。そして、力のない学校側のケアも、外部機関とも連携すべきです。特にいじめる側の親御さんのこと。こここから問題点がみえてくると思うのです…

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