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2015年9月23日水曜日

小学校の宗教の授業

 ドイツの学校には宗教の授業があります。ほとんどの学校がキリスト教の授業ですが、最近ではイスラム教の授業なんかもあるらしいです。もちろん選択できます。授業を受けないことも可能です。  私が住む田舎の小学校には外国人自体が少ないので、選択肢は他にありません。やはり内容が気になるので、小学校に上がると同時に先生に聞いてみたところ、内容は宗教じゃなくてほとんど道徳だからとのこと。そんなこんなで1、2年生のころは授業内容もあまり気にとめることもなかったのですが、最近娘がうかない顔をしているので聞いてみたところ、授業がさっぱりわからないと言います。3年生になってから、カトリックとプロテスタントの2グループに授業が分かれました。この時にちょっと疑問に思ったのは確かです。道徳に宗派など関係ないはず…とりあえず様子をみていたところでした。娘が言うには、難しすぎて先生が言っていることがわからない。わからない言葉が多すぎる、他の子供達は手をあげてちゃんと答えられるのに、私はチンプンカンプンとのこと。よくよく話を聞いてみると、確かに時々教会に通ったりしない限り聞かない専門用語がずらり。うちの旦那は信仰心のほとんどないプロテスタントです。ゆえに、教会には結婚式や洗礼式なんかで招待されない限り、出入りすることはほとんどありません。娘がわからないのも無理ありません…なんだかかわいそうになると同時に、ちょっと真剣に考えてしまいました。  先日、教会税について書きましたが、ドイツ人にとって教会に所属するのはごくごく自然のことです。日本人が子どもの頃、お宮参りや七五三に行くように、いつのまにか親によっていづれかの宗派に所属し、大人になってから自分の意思で離脱したりする人間もいます。離脱するのは、自分自身で宗教について比較検討できる能力が備わった末の決断、と私は考えています。そのためには比較要素をきちんと理解しなければならない。宗教理解は他人理解にもつながります。そんな理由で、娘を授業に参加させていたのです。しかし、親がフォローできない授業を受けさせ、そこでおかしな劣等感を感じさせる必要はあるのか?道徳という観点が抜け、宗派の授業になるのは私も本意ではありません。ならば、私がきちんと説明できることを家で教えてあげるほうがいいのではないか?そんなことまで考えてしまいました。しかし、まだ8歳の子どもからしてみれば、みんなと一緒の授業を受けてナンボの世界。しばらく様子をみることにしました…

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