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2014年4月9日水曜日

「宗教」という言葉 

 zenzai53の名刺をフライヤー代わりにフランクフルト市内のレストランやお店に置かせていただいていますが、先日友人から、カードに記載してある「比較宗教理解セミナー」について、「怪しい」との指摘をうけました。w 友人いわく、「比較宗教」ではなく「比較文化」にしたほうが、怪しまれないとのこと。「別に怪しいことしているわけじゃないから、いいじゃない?!」と答えると、「いや、オレみたいに主催者自身を知ってたら、全く怪しくないのはよくわかるが、知らなかったらやっぱり『宗教』という言葉を聞いただけでやばいなと思う。」とのこと。ふむ。やっぱりそうきたか・・・
 セミナーの名前を決める時に、上記ような感想をもつ人間は多いだろうなとは想像していました。そのため、「比較文化」にするべきか迷いました。しかし、私の専門を考えると、文化という言葉が指す範囲が広すぎるため、「比較宗教」にしました。

 なぜ、日本人は「宗教」という言葉に嫌悪を感じるのか。これはセミナーで中心となる話です。戦前、何らかの神仏等を信仰していると答えた日本人は全体の60パーセント。高度成長期とともにその数字は緩やかに降下し続け、1995年のオウム真理教の事件を境に30パーセントまで減ります。此の数字は共産国における統計とほとんど変わりません。にもかかわらず、初詣や結婚式といった年中行事や人生行事の信者数は、全国民数の1.6倍という数に上ります。これに、現在のスピリチュアルブームとよばれるものを含めれば、その数は膨大なものになるでしょう。
 スピリチュアルは宗教じゃないよ、と思われる方もいるでしょう。しかし、スピリチュアル、ニューエイジブームと呼ばれるものは、これらの数字とまさに反比例して伸びてきているのです。何らかの宗教を信じることが「弱い人間」「変わり者」といったイメージを持つのに対し、これらは少し現代的なイメージを与えます。しかし、双方ともに、何かを信じる、信じたい、という日常の欲求からうまれでている点では同じです。
 また、共産国以外のほとんどの国において、宗教は個人のアイデンティティ、或いは社会契約の基礎として当然あるものと考えられており、「無神論者」に対して不寛容といったイメージをもたれることがあるようです。ここで注意したいのは、近年ドイツにおける教会脱会者の増加は、無神論のためではなく、反教会税といった現実的な理由がほとんです。

 と、こんな感じでzenzai53における比較宗教セミナーは進行しております・・・あくまでも、客観的、学術的データに基づいておりますので、やばくありません。w

 

 

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