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2016年2月2日火曜日

言葉が素通り

 今日は鈴木俊隆のエッセイを読みながら二人のお母さん方(ドイツ人と日本人)と坐禅会がはじまりました。テーマは「子供とコミュニケーション」。ここ最近、よかれと思って言っているだけど、結局余計な言葉が混じって子供を怒っていたり、或いはどうせ右から左に聞き流していることを知りつつ同じ調子でこれまた叱っていたり。そんなことが続きました。参加者のお二人もまさに実際に経験していること。これはまさに、言葉が素通りしているのです。もう、怒ろうが叱ろうが言葉が子供の心に命中しない。だから、何度も同じことの繰り返し。あーあ、だんだんむなしくなってきます。今日はこれをテーマに坐りながら、客観的な事態の把握を試みました。
 そして気がついたこと。全くもって「今、ここ」にない心で子供に話しかけていました。過去のことをただ思い出して怒ったり、未来にまだ起こっていない悪いことへの忠告だったり。更に、あってはいけないことですが、「相手に話す」ということに集中していませんでした。例えば、茶碗を洗いながら叱っていたり、ご飯を食べながらぶつぶつ注意したり。
 二つのことを「心から」集中してできる人間はほとんどいないでしょう。何かをしながら相手に大切なことは伝わりません。手を止め、相手の目を見て話す。そして、相手の声を聞く。こんな単純なことをすっかり忘れていました。「今、ここ」に集中する。坐禅で練習していることをそのまま活かせばよいのですよね。反省。
 

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