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2016年6月6日月曜日

映画感想

 先週末はZen for nothingという安泰寺を舞台にしたドキュメント映画をみてきました。評価は横に置いておくとして、その後の監督への直接の質問会でちょっと首をひねりました。
 監督は日本における禅寺の一般摂心において、(1)参加費の有無 (2)男女一緒の摂心会 の有無に寺のあり方への良し悪しの基準をおいているように私には聞こえました。ちょっと反論させていただきます。摂心会において不当な金額を要求してくるようなお寺さんは、私の知る限り皆無です。もしもそのような要求をするようなお寺であれば、それはいわゆる金儲けの新興宗教団体か、ニューエイジ系の不思議大好き、或いはナチュラルなんちゃって集団でしょう。安泰寺のような、自給自足を可能とする土地を所有するお寺の方が日本全国には希少なはずです。ゆえに、信者や摂心会の参加者の方から必要最低限の経費を徴収するのは私は全く問題ないと思います。また、仏教における布施の精神を考えるとき、僧伽や寺の維持のためにわずかなりの金銭物質を収めることは、信者にとっては自分の心のよりどころ確保のためでもあります。これはもちろん、自分ができる範囲で行うべきで、普通一般の禅寺でしたらそれは百も承知の話です。
 2番目の男女一緒の摂心会について。安泰寺のように長期滞在が可能なお寺がどれだけあるかわかりませんが、、短期間であれば安泰時だけではなく日本中どこでもみつけることができます。監督が言っていたように、永平寺や安泰寺のように英語のホームページを用意しているお寺はかなり少ないでしょうが… 男女平等精神にかいている日本文化の中で、希有の存在として安泰寺を評価されていました。確かに日本は欧米に比べたら女性の社会進出力ははるかに弱いでしょう。しかし、仏教文化全体として男女平等精神を考えた場合、仏教は動植物に至るまで平等な宗教です。修行を行う上で、男女をわけるのは何も仏教に始まったことではありません。精神鍛錬と集中力を難しくするものであれば、それを排除する環境を整えて修行を行うのは、手っ取り早く効率的です。男女が一つ屋根の下にいたら、そうはいかなくなる可能性がなきにしもあらずなので、男女別にするのは仏陀生存寺からの習慣で非常に合理的です。
 映画の最後のほうに、カリフォルニアから来た若者たちが火を囲んで、ビールを飲んで、歌っている姿があります。これだけを見るとまさに、インドのゴアやヴァラナシあたりのバックパッカーを想像させられます。監督自身ビールに驚いたと言っていました。これについては映画の中でもうちょっと何か説明があってもいいような気がします。なぜなら、無法さんという素晴らしい住職がいるからこそ可能なことであり、そこには私たちが考える得るような説明と規律と信頼を超えたものがそこにあるはずです。そうじゃないと、《異国の山奥で摂心なんかやっちゃってるクールになりたい集団》を受け入れる、今時の禅寺にしか見えません。そう思う私が偏った見方をしているのでしょうが、無法さんの深い見識にあふれたお話を直接聞いたことがある一凡人としての正直な感想です。当日会場でドイツ語で意見するのが憚れましたので、悪しからず…

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