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2016年5月9日月曜日

逃げる場所

 3年生になって学校の授業が突然難しくなり、娘の成績が少し落ち始めました。学校から帰ってくると、いつもすぐに机に向かって宿題をしますが、その時間もだんだんと長くなっています。がんばっているけれど、やはりドイツ人の子供達より劣ってしまうのはもちろんドイツ語。算数の文章問題、理科社会、おまけに英語まで加わって、とにかく大変。1年生、2年生のころのようによい成績がとれなくて、本人もどうしたらよいかわからない感じ。幼稚園の時期がすっぽり抜けている彼女に、他の子供達と同じような語彙力や一般知識があるわけがなく、それでもついていかねばならず、とにかく毎日があっという間に過ぎていきます。がんばっているのに思ったようにいかなくて、最近は、わからないことは投げだし気味になってきました。かわいそうだけど、こつこつ努力するしかない…背中を押す私も、時々堪忍袋が切れる時があります。例えば、先生に向かって「えー、また英語の授業ー」と文句をたれた時とか、テストがあるのをわかっていて私にも知らせず勉強も全くしなかった時とか。
 すると娘は最近こんな返事をするようになりました。「孤児院に帰りたい、そこで他の子供と一緒に住む」とか、「ハイチのお父さんとお母さんは色んなものをいっぱいくれた。ママとパパよりずっとよかった。」とか。もちろん、彼女はハイチの両親のことはほぼ覚えていません。世界一貧しく危険なスラムで育った彼らが、頻繁に子供に物を与えることもありえないでしょう。はじめは彼女の気持ちを思って、ハイハイと聞いていた私も、先日あまりにも調子に乗ってきたので、「あんた、本気で言ってるの!?孤児院ってどういうところか本当にわかって言ってるのっ!?いい加減にしなさいよっ!どんな思いであんたのお父さんとお母さんがあんたを手放したかわかってんの?!」と声を上げてしまいました。頭の中での逃げ場所になっているハイチが当時どんな状況だったか全くわかっていない彼女に、ビデオをみせようとすると「見たくない」と言います。そうなんです。彼女はわかってるんですよね、なんとなく。ハイチが夢見るようなところじゃないということを。しかし、故郷や実の親はきっと素敵で、勉強もここよりうまくいくににちがいない…と。いつかはこんなやり取りがくるだろうなあ、とは思っていました。それも彼女が思春期くらいに。ちょっと早かったなあ。
 これを彼女の妹弟の養親に話すと、「ショックだったでしょう、大丈夫?」と、心配顔。「それが以外と冷静なんだよね私。」これは正直なところです。なんでかな?時々、養子縁組に関する日本のドキュメントなどで、いかに実の母親とひけをとらない母親であるべきかで悩む養子親の話や、血の繋がりのないことをいつ打ち明けるべきか、で悩む親の姿をみます。私はそのどちらもほぼクリアしているから、実の親のほうがよかったと言われても冷静でいられるのかなと思います。なぜなら、私は本当に申し訳ないほど母親らしくない。母親らしいことは普段なにひとつしてあげていない。鼻からこの母親らしくあるべきことに白旗をあげているわけです…
 この件の波がそろそろ引き始めた頃、娘に聞いてみました。「今でも孤児院に帰りたいの?」すると、「ママごめんね。本当は全然そう思ってないの。」「どうした、なんかあったの?」と聞くと、学校で友達がいじめっ子に仕返しをしているのを見て思いついたとのこと。詳細は忘れてしまいましたが、恨みは相手の急所を静かにさして報復する方法を、こうやって人間は実践的に学んでいくのだなと妙に感心しました…
 私の立ち位置は母親というよりも「世界一のなんでも話せる母親みたいな下宿のおばさん」かな、と思います。最近は、娘も冷静に正直になんでも対応するようになりつつあり、ま、これでいいのかな、と思うようにしています…
 

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