某超有名アメリカ人俳優カップルの離婚…カップル自身のことよりも、彼らの片手では数えきれぬ子供達がかわいそう。と、思った方もたくさんいるのではないでしょうか。彼らに限らず、他にもいますよね。映画監督と離婚した某ポップスターや、サイエントロジーの広告塔の彼も前妻との間には養子がいました。彼らの離婚劇には、眉をひそめる養子親が世界中にたくさんいるでしょう。だって、その後は必ず「やっぱり養子はかわいそう。親のエゴで子供が取引された。」というイメージが必ず世間にあふれるから。別に関係ないといえば関係ないのだけれど、これらのゴシップニュースを、養子自身が将来自分で認識するようになった時、どんな感情を抱くのだろう。と、ふと考えます。
じゃあ、離婚をする予定のない人間に養子縁組をしたらどうだろう?南アフリカ出身の某女優は、シングルで養子縁組してますね。私はエンタメニュースには興味ありません。そんな私でもニュースを目にするとすれば、離婚劇等の大見出しの時くらい。なので、彼女がいまどんな生活をしているのか知りません。ドイツではシングルに養子縁組はできないので、どんな審査を通って彼女が養子縁組をできたのか興味はあります。
さて、何が言いたいのか。結婚していれば、夫婦は確実に固く結ばれているから子供も幸せなんていうことは幻想だし、シングルだから子供は幸せになれないというのも幻想だと思います。さらに、このことは養子だけにあてはまることではなくて、実子についても同じこと。子供に限らず親にも当てはまりますが、「何か自身から欠けてしまった」と感じたその後に、その穴埋めの方向が、自身を傷つけることなく健全であることを祈るのみです。
*Dieser Blog ist auf Japanisch verfasst. Wenn Sie eine Übersetzungsfunktion nutzen, wird diese Blog möglicherweise nicht korrekt dargestellt. Sorry* ヨガ、乳がん、社会問題、国際養子縁組、野球等々、日々の徒然を仏教・インド哲学的視点で… 時にはただのオバさんの視点で書きとめています。 2017年11月から2018年までのブログは主に乳癌宣告から放射線治療終了までの日々を綴っています。「タクシーモハメッド」は放射線治療へ通う日々の送迎タクシーでの出来事です。 しばらく書くことをサボっていましたが、2026年乳癌ヨガインストラクターのオーソライズド認定を受け、ヨガを正しく伝えたくてブログを再開しました。 写真は面倒なのでほぼ撮りません。言葉で伝える方が好きです。読んでくれてありがとうございます。 #乳癌 #乳がん #乳癌ヨガ #ヨガ #ドイツ生活 #海外生活 #仏教 #インド哲学
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ラベル 東北大震災と国際養子縁組 Adoptivkind und Naturkatastroph の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
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2016年10月5日水曜日
2016年8月24日水曜日
サーフボードを切り離せ!
ここ最近、子育てや家族関係でスッキリしないことが多く、まさに一方通行の行き止まりに突き当たってしまった感じでした。原因は全て自分にあるとわかっているんですが、どうも抜け出せない。まさに、乗りたくない快速特急に乗ってしまって、目的地とはなんの関係もない場所に来てしまった感じです。しかし、今回の摂心で目的地に戻ることができました。
そのコツはというと、「サーフボードを切り離せ!」です。w なんのこっちゃ、と思われると思います… 説明をすると、まず、海は私たちの心です。表面は心の喜怒哀楽や欲望、葛藤で大波、小波と揺れ動いています。しかし、海面から離れて潜っていくと、波は収まり、静かで平和な深海世界が現れてきます。海面も深海も同じ一つの心です。と、ここまでは座禅会参加者のみなさんにもよくお話ししていることです。しかし、どうやって深海にたどり着く?!
座禅中にふと気がついたことは、私はこの大波小波をうまく乗り切ろうとしている。まさにプロのサーファーのように。サーフボードは私の「エゴ」です。うまく乗り切れると信じて疑わない「強い意志」ではなく、ただの「エゴ」であることに気づきました。そこで、とりあえず、そのエゴサーフボードから飛び降りることにしました。しかし、このサーフボードは足に結びつけられているために、落ちても落ちても浮力ですぐに、また波の表面に体ごと一緒に浮かび上がってしまう…これが座禅中での葛藤でした。そこではっときがついたのが、そうだ、落ちたら迷わずにサーフボードを切り離してしまえ!そしてそのまま、海に沈んで行け!という感覚でした…
そして、どんどん沈んでいったら、海面を見上げてみる。そうすると、自分の心の状況がよく見渡せました。広い、広い、海の中のごく一部で起こっている大きな荒れた波。その波も、実は穏やかな美しい白い砂浜の波打ち際にもつながっている。そこまで心を広げてゆく。そっか、こんな簡単なことだったのになあ。波に乗っている時には格闘することに夢中になって、そんな当然のことに見向きもしない。大反省です…
さてさて、ドイツは来週から新学期です。子育てに悩めるお母さんがた、家族関係、友人関係に悩めるみなさん、また一緒に精進して行きましょう。9、10月はオープン座禅会を復活させます。お気軽に連絡の上、お越しください。お待ちしています!
そのコツはというと、「サーフボードを切り離せ!」です。w なんのこっちゃ、と思われると思います… 説明をすると、まず、海は私たちの心です。表面は心の喜怒哀楽や欲望、葛藤で大波、小波と揺れ動いています。しかし、海面から離れて潜っていくと、波は収まり、静かで平和な深海世界が現れてきます。海面も深海も同じ一つの心です。と、ここまでは座禅会参加者のみなさんにもよくお話ししていることです。しかし、どうやって深海にたどり着く?!
座禅中にふと気がついたことは、私はこの大波小波をうまく乗り切ろうとしている。まさにプロのサーファーのように。サーフボードは私の「エゴ」です。うまく乗り切れると信じて疑わない「強い意志」ではなく、ただの「エゴ」であることに気づきました。そこで、とりあえず、そのエゴサーフボードから飛び降りることにしました。しかし、このサーフボードは足に結びつけられているために、落ちても落ちても浮力ですぐに、また波の表面に体ごと一緒に浮かび上がってしまう…これが座禅中での葛藤でした。そこではっときがついたのが、そうだ、落ちたら迷わずにサーフボードを切り離してしまえ!そしてそのまま、海に沈んで行け!という感覚でした…
そして、どんどん沈んでいったら、海面を見上げてみる。そうすると、自分の心の状況がよく見渡せました。広い、広い、海の中のごく一部で起こっている大きな荒れた波。その波も、実は穏やかな美しい白い砂浜の波打ち際にもつながっている。そこまで心を広げてゆく。そっか、こんな簡単なことだったのになあ。波に乗っている時には格闘することに夢中になって、そんな当然のことに見向きもしない。大反省です…
さてさて、ドイツは来週から新学期です。子育てに悩めるお母さんがた、家族関係、友人関係に悩めるみなさん、また一緒に精進して行きましょう。9、10月はオープン座禅会を復活させます。お気軽に連絡の上、お越しください。お待ちしています!
2016年7月19日火曜日
ゴミ、またゴミ…
ゴミ拾いしました。まずは私たちの野球場を。嬉しいことにあんまりゴミはなかったです。子供達がわんやわんやとゴミ拾いハサミを使いたがって集まってきました。やっぱり、ここがポイントなんですよね。ゴミ拾いハサミを使ってみたいという。まあ、悪くない理由ですが、いつか飽きられるだろうな…と。
そして、山にさて拾いに行こうかと娘と二人で意気込んでいた矢先、娘の部屋から出てくる出てくるゴミの山!腐ったバナナまで登場し、さすがの私も堪忍袋の緒が切れました。「まずは自分の部屋を綺麗にするのが先!!」ということで、ゴミ拾いはしばらくお預けです… あんまり細かく整理整頓、清潔第一を言いすぎるのもなあ、とここ1、2ヶ月何も言わなかった結果がこれです。いやはや、難しいですね…
さてさて、今日から日本へ一時帰国です。時間ができるので、もうちょっとブログも書けるといいな、と。
2016年7月6日水曜日
子供がゴミ拾いをしたいと言い出した。関するお告げ。w
今日もゴミ拾いネタです。今日、森の中でゴミ拾い隊の子供の集団を発見!在独20年の私ですが、初めて見ました。クラス行事でやってるらしく、30人ほどの4、5年生と思われるグループでした。これはもうなんかのお告げか?!とニヤニヤしながら、急いでいた私は自転車で通り過ぎました。通り過ぎた後、後悔。あー、ほめてあげればよかった。それぐらい立ち止まって声をかける時間はあったよなー。大人として反省。
そして、今日は続けて更なるお告げが!w なんと、娘のお友達のHちゃん(ドイツの1年生)が、娘のゴミ拾い熱を聞きつけ、宿題の作文制作テーマとして書いたそうです。あまりにも嬉しいお話なので、ここに載せることにしました。そして、Hちゃんもどうやらゴミ拾いハサミを購入した模様。これはもう近日中に実行せねば… Hちゃんありがとう!作文できたらぜひ読ませてね。
そして、今日は続けて更なるお告げが!w なんと、娘のお友達のHちゃん(ドイツの1年生)が、娘のゴミ拾い熱を聞きつけ、宿題の作文制作テーマとして書いたそうです。あまりにも嬉しいお話なので、ここに載せることにしました。そして、Hちゃんもどうやらゴミ拾いハサミを購入した模様。これはもう近日中に実行せねば… Hちゃんありがとう!作文できたらぜひ読ませてね。
2016年7月5日火曜日
子供がゴミ拾いをしたいを言い出した。
まさにタイトル通りです。ここ2週間ほど、ゴミが拾いたくてしょうがないらしいです。ゴミ拾い用の道具が使いたくてしょうがないんだなということは感じています。この気持ちをどうやったらポジティブに実行できるか色々考えていました。zenzai53の宣伝も兼ねたお揃いのTシャツを着るとか、天使の羽をつけるとか…がしかし、考えるのをやめてとりあえずさっさと実行することにします。とりあえず、いつも歩く森の中のゴミを拾いながら、最後にフランクフルトが遥か遠くによくみえるピクニックエリアでご褒美のおやつでも食べようと思います。一緒に歩く方大歓迎! ; )
2016年5月24日火曜日
子供と差しで向かうこと
昨夜は保母さんであり、一児の母である女性と坐禅をしました。坐禅後、いつものように楽しいおしゃべりの時間。昨日は、育児書の話に花が咲きました。私と彼女の意見は一緒。この世にいったい何冊の育児書があり、どれだけの母親がその通りにならないと擦った揉んだしていることか…育児書のとおりに育つような子供なんて一人もいないよね。子供なんて千差万別だし。良さそうな育児書探しと、それを読む時間と、その通りに実行してうまくいかなかった時と、がっかり感と、その後の著者への文句と、また良さそうな育児書探しと、全ての時間の総計を考えたらとんでもない時間数。その時間の間に子供と差しで向かい合ったほうがよっぽど時間の節約になるし、すくなくともすっきり感が違うよね、ということです。
しかし、この「差しで向かう」方法が大問題。第一に子供を同じ土俵の人間として扱うこと。大人としてじゃないですよ…大人として扱うと、大人なんだからと押し付けがましくなってしまう。これが難しいんだよね、ということに。そして、その方法は観想(ヴィパッサナー瞑想)でやっていることを応用するのが最適ということに一致しました。とにかく自分と子供の身体感や感情の起こりを客観的に把握することに努める。何度もやるうちに、お互いに何が本当にひっかかっているのか、望んでいるのかが見えて来る。そうするとお互いに噛み合わない感情や思考の矛先のもとが見えるようになる。見えてきたらそれをまた客観的に把握して受容する。これだけのこと… それだけのことなんですけどね、これが良寛のようにはいかないのが我ら凡人。良寛のように100パーセント子供と向きあうこと、同じ土俵に立つことができたら、育児書なんかいらなくなりますね。
しかし、この「差しで向かう」方法が大問題。第一に子供を同じ土俵の人間として扱うこと。大人としてじゃないですよ…大人として扱うと、大人なんだからと押し付けがましくなってしまう。これが難しいんだよね、ということに。そして、その方法は観想(ヴィパッサナー瞑想)でやっていることを応用するのが最適ということに一致しました。とにかく自分と子供の身体感や感情の起こりを客観的に把握することに努める。何度もやるうちに、お互いに何が本当にひっかかっているのか、望んでいるのかが見えて来る。そうするとお互いに噛み合わない感情や思考の矛先のもとが見えるようになる。見えてきたらそれをまた客観的に把握して受容する。これだけのこと… それだけのことなんですけどね、これが良寛のようにはいかないのが我ら凡人。良寛のように100パーセント子供と向きあうこと、同じ土俵に立つことができたら、育児書なんかいらなくなりますね。
2016年5月9日月曜日
逃げる場所
3年生になって学校の授業が突然難しくなり、娘の成績が少し落ち始めました。学校から帰ってくると、いつもすぐに机に向かって宿題をしますが、その時間もだんだんと長くなっています。がんばっているけれど、やはりドイツ人の子供達より劣ってしまうのはもちろんドイツ語。算数の文章問題、理科社会、おまけに英語まで加わって、とにかく大変。1年生、2年生のころのようによい成績がとれなくて、本人もどうしたらよいかわからない感じ。幼稚園の時期がすっぽり抜けている彼女に、他の子供達と同じような語彙力や一般知識があるわけがなく、それでもついていかねばならず、とにかく毎日があっという間に過ぎていきます。がんばっているのに思ったようにいかなくて、最近は、わからないことは投げだし気味になってきました。かわいそうだけど、こつこつ努力するしかない…背中を押す私も、時々堪忍袋が切れる時があります。例えば、先生に向かって「えー、また英語の授業ー」と文句をたれた時とか、テストがあるのをわかっていて私にも知らせず勉強も全くしなかった時とか。
すると娘は最近こんな返事をするようになりました。「孤児院に帰りたい、そこで他の子供と一緒に住む」とか、「ハイチのお父さんとお母さんは色んなものをいっぱいくれた。ママとパパよりずっとよかった。」とか。もちろん、彼女はハイチの両親のことはほぼ覚えていません。世界一貧しく危険なスラムで育った彼らが、頻繁に子供に物を与えることもありえないでしょう。はじめは彼女の気持ちを思って、ハイハイと聞いていた私も、先日あまりにも調子に乗ってきたので、「あんた、本気で言ってるの!?孤児院ってどういうところか本当にわかって言ってるのっ!?いい加減にしなさいよっ!どんな思いであんたのお父さんとお母さんがあんたを手放したかわかってんの?!」と声を上げてしまいました。頭の中での逃げ場所になっているハイチが当時どんな状況だったか全くわかっていない彼女に、ビデオをみせようとすると「見たくない」と言います。そうなんです。彼女はわかってるんですよね、なんとなく。ハイチが夢見るようなところじゃないということを。しかし、故郷や実の親はきっと素敵で、勉強もここよりうまくいくににちがいない…と。いつかはこんなやり取りがくるだろうなあ、とは思っていました。それも彼女が思春期くらいに。ちょっと早かったなあ。
これを彼女の妹弟の養親に話すと、「ショックだったでしょう、大丈夫?」と、心配顔。「それが以外と冷静なんだよね私。」これは正直なところです。なんでかな?時々、養子縁組に関する日本のドキュメントなどで、いかに実の母親とひけをとらない母親であるべきかで悩む養子親の話や、血の繋がりのないことをいつ打ち明けるべきか、で悩む親の姿をみます。私はそのどちらもほぼクリアしているから、実の親のほうがよかったと言われても冷静でいられるのかなと思います。なぜなら、私は本当に申し訳ないほど母親らしくない。母親らしいことは普段なにひとつしてあげていない。鼻からこの母親らしくあるべきことに白旗をあげているわけです…
この件の波がそろそろ引き始めた頃、娘に聞いてみました。「今でも孤児院に帰りたいの?」すると、「ママごめんね。本当は全然そう思ってないの。」「どうした、なんかあったの?」と聞くと、学校で友達がいじめっ子に仕返しをしているのを見て思いついたとのこと。詳細は忘れてしまいましたが、恨みは相手の急所を静かにさして報復する方法を、こうやって人間は実践的に学んでいくのだなと妙に感心しました…
私の立ち位置は母親というよりも「世界一のなんでも話せる母親みたいな下宿のおばさん」かな、と思います。最近は、娘も冷静に正直になんでも対応するようになりつつあり、ま、これでいいのかな、と思うようにしています…
すると娘は最近こんな返事をするようになりました。「孤児院に帰りたい、そこで他の子供と一緒に住む」とか、「ハイチのお父さんとお母さんは色んなものをいっぱいくれた。ママとパパよりずっとよかった。」とか。もちろん、彼女はハイチの両親のことはほぼ覚えていません。世界一貧しく危険なスラムで育った彼らが、頻繁に子供に物を与えることもありえないでしょう。はじめは彼女の気持ちを思って、ハイハイと聞いていた私も、先日あまりにも調子に乗ってきたので、「あんた、本気で言ってるの!?孤児院ってどういうところか本当にわかって言ってるのっ!?いい加減にしなさいよっ!どんな思いであんたのお父さんとお母さんがあんたを手放したかわかってんの?!」と声を上げてしまいました。頭の中での逃げ場所になっているハイチが当時どんな状況だったか全くわかっていない彼女に、ビデオをみせようとすると「見たくない」と言います。そうなんです。彼女はわかってるんですよね、なんとなく。ハイチが夢見るようなところじゃないということを。しかし、故郷や実の親はきっと素敵で、勉強もここよりうまくいくににちがいない…と。いつかはこんなやり取りがくるだろうなあ、とは思っていました。それも彼女が思春期くらいに。ちょっと早かったなあ。
これを彼女の妹弟の養親に話すと、「ショックだったでしょう、大丈夫?」と、心配顔。「それが以外と冷静なんだよね私。」これは正直なところです。なんでかな?時々、養子縁組に関する日本のドキュメントなどで、いかに実の母親とひけをとらない母親であるべきかで悩む養子親の話や、血の繋がりのないことをいつ打ち明けるべきか、で悩む親の姿をみます。私はそのどちらもほぼクリアしているから、実の親のほうがよかったと言われても冷静でいられるのかなと思います。なぜなら、私は本当に申し訳ないほど母親らしくない。母親らしいことは普段なにひとつしてあげていない。鼻からこの母親らしくあるべきことに白旗をあげているわけです…
この件の波がそろそろ引き始めた頃、娘に聞いてみました。「今でも孤児院に帰りたいの?」すると、「ママごめんね。本当は全然そう思ってないの。」「どうした、なんかあったの?」と聞くと、学校で友達がいじめっ子に仕返しをしているのを見て思いついたとのこと。詳細は忘れてしまいましたが、恨みは相手の急所を静かにさして報復する方法を、こうやって人間は実践的に学んでいくのだなと妙に感心しました…
私の立ち位置は母親というよりも「世界一のなんでも話せる母親みたいな下宿のおばさん」かな、と思います。最近は、娘も冷静に正直になんでも対応するようになりつつあり、ま、これでいいのかな、と思うようにしています…
2016年4月27日水曜日
喜怒哀楽満載の日々だからこそブログ書けませんw
またまたブログアップがかなりの長い間滞ってしまいました。言葉を世間に発するということイコールそれに責任をもつことです。これはブログも然り。しかし、ここ最近は責任をもてないような(笑)私的な喜怒哀楽満載の日々だったので、ブログから遠ざかっていました。そのうち、ちょっとブルーな気分にさせられた出来事は、知人の外国人(ドイツにおける外国人です。私もその一人。)が思いっきり政党AfD(右寄りです…)を支持していて、咄嗟に「まじ?冗談?」と聞き返してしまいました。私のリアクションで火がついた彼女は演説をはじめ…「あんただって外人じゃない。そんな集会に顔だしたら刺されるよ。」と冗談半分、本気半分で反応したバカな私はさらに1時間個人演説を聞く羽目となりました。この話題は深入りしないでおきましょう…
2016年3月18日金曜日
震災5年 メディアを通して思うこと
3月に入ってしばらくブログ更新が滞ってしまいました。震災5年目ということで、あちこちのメディアで被災地の今なるものが取り上げられ、しばらくネット漬けでした。そして、5年目という区切りの年にあたり、至る所でドキュメントフィルムが上映され、テレビでも特集が組まれています。久々に故郷を映像とコメントを通して見てみると、なんとも言えない感情が沸き起こります。
5年の節目に阿部首相は、いろんなところに出没して復興をアピールしてますが、実際、復興が進んでいるところにしか顔だしていませんよ。復興が進んでいない土地のほうが多数ですが、そちらに顔を出す勇気はもちろんないですよね。自民党の皆さん、震災当時双葉町の被災者のデモに雁首をそろえて復興を誓っていましたが、あれはどうなったんですか?結局ただの政局奪還のためのプロバカンダだったのですね。とっくに予想はしていましたが。もっと言わせて貰えば、オリンピックよりも復興のほうに時間も税金も使って欲しかった。オリンピックで日本の復興の様子を世界に見せて、何か変わりますか?東北人がいつまでもじっと我慢して、世界にお礼の言葉をむけるだろうなんてシナリオはお断りです。そしてまたオリンピックを理由に、被災地に浅はかな知識しか持ち合わせない取材班が押し寄せるほうが迷惑です。そして東京電力、被災者への補償を自分の客から少しづつこっそりと徴収してゆく手法は、まったくもって賊徒です。
ちょっと落ち着いて… ドイツの映画監督ドリス・ドリーも福島を舞台に映画を製作して昨日公開なりました。鑑賞後の感想をここで報告します。
5年の節目に阿部首相は、いろんなところに出没して復興をアピールしてますが、実際、復興が進んでいるところにしか顔だしていませんよ。復興が進んでいない土地のほうが多数ですが、そちらに顔を出す勇気はもちろんないですよね。自民党の皆さん、震災当時双葉町の被災者のデモに雁首をそろえて復興を誓っていましたが、あれはどうなったんですか?結局ただの政局奪還のためのプロバカンダだったのですね。とっくに予想はしていましたが。もっと言わせて貰えば、オリンピックよりも復興のほうに時間も税金も使って欲しかった。オリンピックで日本の復興の様子を世界に見せて、何か変わりますか?東北人がいつまでもじっと我慢して、世界にお礼の言葉をむけるだろうなんてシナリオはお断りです。そしてまたオリンピックを理由に、被災地に浅はかな知識しか持ち合わせない取材班が押し寄せるほうが迷惑です。そして東京電力、被災者への補償を自分の客から少しづつこっそりと徴収してゆく手法は、まったくもって賊徒です。
ちょっと落ち着いて… ドイツの映画監督ドリス・ドリーも福島を舞台に映画を製作して昨日公開なりました。鑑賞後の感想をここで報告します。
2016年3月10日木曜日
感謝の気持ち
先日の坐禅会で、参加者の方が「感謝の気持ち」をいつも高めることはできないだろうか、とおっしゃっていました。普段、子供と接する時にイライラしたり、他のお母さん方と自分を比べてしまったり、旦那とうまくいかなかったり、毎日が葛藤との戦いだと彼女は言います。けれど、自然の中を歩いている時は、そんなことをふっと忘れてただ、「今、ここ」にいることを実感できて、感謝の気持ちが湧いてくる。その感謝の気持ちはいつしか家族の存在にむかっていく。どうしたらこの気持ちを持続させることができるだろう、とおっしゃていました。
彼女のような経験をしたことがある人間はたくさんいると思います。自然のなかにいる間は感謝の気持ちが持続できても、普段の生活に戻るとあっという間に、いろんなモヤモヤした葛藤の嵐とともに吹き飛んでしまう。どこか嵐に巻き込まれない安全地帯を確保できれば一番いいのですが…
人間の心の動きをみごとに記した仏教論書「大乗起信論」は、このような心の動きを海にたとえています。月が輝くおだやかな海面、わずかに動く小波、あるいはサーファーが喜びそうな大波、そして喜べない津波…と、海の表面は心の動きに合わせて動いています。がしかし、荒れた海面から深く潜れば、そこは静けさをたたえた別世界。同じ「海」でも、全く違った顔を見せています。
感謝の気持ちは、心の海面に漂っているだけではなんだかよく実感がわきません。波に逆らわず身を任せることで体力温存し、そこから潜って上を見ると状況がよく見えます。これと似て、自然の中でふと感謝の気持ちが湧いてくるのは、自分を自然に任せ、自然と一体となった時に、人間関係の違った側面が見えてくるからのように思います。
外的な安全地帯を自然の中に見出せるとしたら、内的な安全地帯はもう自分の心の中、その持ちようしかないように思えます。それは日々の坐禅での訓練で得られる、中道を見る感じる気づくという実践が心の安全地帯となってゆくように思うのです。
彼女のような経験をしたことがある人間はたくさんいると思います。自然のなかにいる間は感謝の気持ちが持続できても、普段の生活に戻るとあっという間に、いろんなモヤモヤした葛藤の嵐とともに吹き飛んでしまう。どこか嵐に巻き込まれない安全地帯を確保できれば一番いいのですが…
人間の心の動きをみごとに記した仏教論書「大乗起信論」は、このような心の動きを海にたとえています。月が輝くおだやかな海面、わずかに動く小波、あるいはサーファーが喜びそうな大波、そして喜べない津波…と、海の表面は心の動きに合わせて動いています。がしかし、荒れた海面から深く潜れば、そこは静けさをたたえた別世界。同じ「海」でも、全く違った顔を見せています。
感謝の気持ちは、心の海面に漂っているだけではなんだかよく実感がわきません。波に逆らわず身を任せることで体力温存し、そこから潜って上を見ると状況がよく見えます。これと似て、自然の中でふと感謝の気持ちが湧いてくるのは、自分を自然に任せ、自然と一体となった時に、人間関係の違った側面が見えてくるからのように思います。
外的な安全地帯を自然の中に見出せるとしたら、内的な安全地帯はもう自分の心の中、その持ちようしかないように思えます。それは日々の坐禅での訓練で得られる、中道を見る感じる気づくという実践が心の安全地帯となってゆくように思うのです。
2016年2月25日木曜日
爆弾と「死にたい」
世界のテロ事件への関心は我々大人だけではなく、小さな子供達の間にももちろん広がっています。もちろん、子供達へは「刺激的」な部分だけが、子供用に脚色されて伝わってゆきます。
先日、娘の担任の先生からめずらしく電話がかかってきました。話を聞いてみると、授業中に娘がトイレに行きたいというので行かせた。戻ってきてみると泣いた後で目が腫れている。どうしたの?と聞くと、なんでもないと答えた。休み時間になって、一人の時に再度尋ねてみると、「言わないほうがいい。」と娘が答えたところ、先生がさらにねばってたずねると「ハイチに爆弾が落ちて、ハイチのお父さんお母さんが死ぬかもしれない。」とのこと。なぜそう思うのか再度たずねると、「クラスのみんなが爆弾のことを心配している。」と答えたそうです。
この件についてのポイントは二つ。1爆弾に対する恐怖 2ハイチの両親について話すことへの躊躇 でしょうか。
我が家でテロや爆弾が子供との会話で話題にのぼったことは一度もありません。テレビは週に多くて2、3時間程度、子供番組を選んで見せています。私自身は子供が就寝した後のニュース番組をみる程度です。娘が自分でテロに対する知識を蓄えたとは思えません。いらぬ恐怖を蓄える前に、テロと爆弾については私の口からわかりやすく伝えました。
そして2番目の件については特別に対処はしていません。家の中ではいつもオープンに実の両親について話したい時は話させているし、否定も肯定もせずに、うんうんと聞いています。ただ、以前ブログにも書きましたが、娘の「家族意識」に対する心無い子供達の反応に対して、家族に関する発言に消極的になってきたのかもしれません。
この爆弾話からしばらくたって、今度は「死にたい」発言が飛び出してきました。ほんの些細なこと(食べたガムをベットの足にくっつけていた)でパパから怒られた後のことでした。この発言にはちょっと敏感に反応した自分に気づきました。私が高校生の頃、親友を自殺でなくした際、彼女は死ぬ数週間前にこの言葉を時々漏らしていました。その思い出がもちろんすぐに頭によぎりました。どう反応するべきか悩む自分にももちろん気づき、子供が幸い「まずいこと言っちゃった」と感じていることにも気づき、とりあえず坐禅開始の合図のように3回深呼吸をしました…そして、これは簡単に説明しちゃいけないと思い、とりあえず1時間ほどどう説明するべきが考え、話を切り出しました…
2016年2月12日金曜日
Bald 5 Jahre vorbei... 東北大震災から5年まであと1ヶ月
仙台の地元新聞「河北新報」は月命日の毎月11日には、震災に関連するアーカイブ記事が全て読めます。当時のことを忘れないように、時々見ています。
Bald werden 5 Jahre nach dem Natur Katastrophe in meiner Heimat. Hier ist die Link von einer Lokale Zeitung. Man kann viele Archive anschauen. Auch in Englisch ; )
http://kahoku-archive.shinrokuden.irides.tohoku.ac.jp/kahokuweb/?0
Bald werden 5 Jahre nach dem Natur Katastrophe in meiner Heimat. Hier ist die Link von einer Lokale Zeitung. Man kann viele Archive anschauen. Auch in Englisch ; )
http://kahoku-archive.shinrokuden.irides.tohoku.ac.jp/kahokuweb/?0
2016年2月2日火曜日
言葉が素通り
今日は鈴木俊隆のエッセイを読みながら二人のお母さん方(ドイツ人と日本人)と坐禅会がはじまりました。テーマは「子供とコミュニケーション」。ここ最近、よかれと思って言っているだけど、結局余計な言葉が混じって子供を怒っていたり、或いはどうせ右から左に聞き流していることを知りつつ同じ調子でこれまた叱っていたり。そんなことが続きました。参加者のお二人もまさに実際に経験していること。これはまさに、言葉が素通りしているのです。もう、怒ろうが叱ろうが言葉が子供の心に命中しない。だから、何度も同じことの繰り返し。あーあ、だんだんむなしくなってきます。今日はこれをテーマに坐りながら、客観的な事態の把握を試みました。
そして気がついたこと。全くもって「今、ここ」にない心で子供に話しかけていました。過去のことをただ思い出して怒ったり、未来にまだ起こっていない悪いことへの忠告だったり。更に、あってはいけないことですが、「相手に話す」ということに集中していませんでした。例えば、茶碗を洗いながら叱っていたり、ご飯を食べながらぶつぶつ注意したり。
二つのことを「心から」集中してできる人間はほとんどいないでしょう。何かをしながら相手に大切なことは伝わりません。手を止め、相手の目を見て話す。そして、相手の声を聞く。こんな単純なことをすっかり忘れていました。「今、ここ」に集中する。坐禅で練習していることをそのまま活かせばよいのですよね。反省。
そして気がついたこと。全くもって「今、ここ」にない心で子供に話しかけていました。過去のことをただ思い出して怒ったり、未来にまだ起こっていない悪いことへの忠告だったり。更に、あってはいけないことですが、「相手に話す」ということに集中していませんでした。例えば、茶碗を洗いながら叱っていたり、ご飯を食べながらぶつぶつ注意したり。
二つのことを「心から」集中してできる人間はほとんどいないでしょう。何かをしながら相手に大切なことは伝わりません。手を止め、相手の目を見て話す。そして、相手の声を聞く。こんな単純なことをすっかり忘れていました。「今、ここ」に集中する。坐禅で練習していることをそのまま活かせばよいのですよね。反省。
2016年1月27日水曜日
君のお母さんは本当のお母さんじゃないんだよ。
娘が同年代の子供と一緒にいると、時々びっくりするような冷たい言葉を子供が吐き出すことがあります。例えば、
「あのさ、君のお母さんは本当のお母さんじゃないんだよ。それって、どういうことか本当にわかってるわけ?」と、ねっとりと冷たく言い放つ男の子。
「冬休みは家族と過ごしたっていうけど、どの家族のこと言ってるわけ?」娘が質問に答えられずキョトンとしていると、「黙ってうやむやにしないでよ。」「あ、もういいわよ。」と一人で勝手に会話を終了してしまう女の子。
こういう言葉を小さな子供の口から聞くと、唖然とすると同時に悲しくなります。そしてこの子達の家庭での会話が見えてきます。あー、そういう風に私たちのことをこの子の親御さんは見ているのね、と。
我々大人でさえ、「本当のお母さんじゃないことがどういうことか。」を生理学的に適切に説明できても、倫理哲学的に正しい説明なんてできやしない。「家族とは誰か」という質問もこれまた同じこと。これらをもっともらしく子供に語る大人は掃いて捨てるほどいるでしょう。そして、その答えのどれもが自己経験や防衛からくる「あるべき姿」を倫理哲学的に装飾したもの。子供はそれを丸呑みして、ここぞとばかりに当人を相手に試してみます…試してみるのはいいけど、親から聞いた通りの答えが返ってこないと困り果てます。
上記の子供達に、娘に変わって私が返した言葉は、
「知ってるよ。この子の本当のお母さんも私も同じオナラをする人間ってこと。同じようにご飯作ったり、悪いことしたら子供のこと怒ったり、一緒に遊んだり、泣いたり、笑ったり。もちろん、バカなことやらかしたらおやつをあげないのもね。君のお母さんも同じでしょ?今日は家に帰ったらおやつないんじゃないの?」これを聞いた男の子、口をあけてキョトン。
「冬休みはこの近くに住んでいる家族、おばあちゃんやいとこ達と過ごしたの。遠くに住んでいる家族とはいつかそのうちね。」女の子も同じようにキョトン。
どちらの回答も私にとっては事実です。ちなみに、まだまだ修行の足りぬ私は、これを側にいた彼らの母親の眼前で聞こえるように言いました…
2016年1月2日土曜日
新年おめでとうございます。frohes neues Jahr !
新年おめでとうございます。今年も爆竹とロケット花火の煙にまみれて、友人たちとともに新年を迎えました。新年を迎えた気が今年もしません。w 元旦は主人と娘と3人で初座禅。数回に分けての70分近い座禅でしたが、娘が経行をふくめ、全回座り切ったのには敬意を示さずにはいれません。娘にしてみれば久々の座禅でもあったので、あっぱれです。先日の映画館でも同じようにじっとしていてくれたら、もっと映画を楽しめたのに!などとはもちろん愚痴りません…w 娘に反して主人は座禅を敬遠しています。しかし、元旦にかぎっては、東洋文化に敬意を示し(!?)初の長時間参禅。足が痛い痛いといいつつも、結局座り抜きました。お見事です。二人ともおつきあいありがとうございました。よい一年にしましょうね。
2015年12月18日金曜日
禅の精神で育児 Erziehung mit Zen Geist
先日、私たちが利用した養子縁組斡旋団体の方から、私たちと似た環境の養子親候補に、子供の言語問題等の経験を話して欲しいと電話がありました。もちろん快諾し、早速未来のお母さんとなる方と電話でお話ししました。その方は、私と全くの同世代で、さらに来年迎える養子の年齢も私たちが経験した6歳間近ということもあり話題はつきませんでした。その方は職業上の専門的な訓練をうけ資格を取得し、その道の専門家としてキャリアをスタートした矢先の養子縁組決定とのこと。どの程度、育児休暇を取るべきか、職場復帰はできるのか、そして子供は2ヶ国語を問題なく取得できるのか、子供の精神状態は、現在の里親との葛藤はあるだろうか、などなど思い浮かぶ疑問はつきません。どのテーマも私たちが実際に経験し、そして未だに経験していることなので、まさに大きな役をかった同志として手に取るように気持ちがわかります。しかし、正確な答えがここで出るかというとそうではありません。子供それぞれが百人百様の発達をします。それは親となる私たち自身にも言えることで、これが正しい答え、あるべき姿、などどこにもありません。まさに禅の精神で、毎瞬間をまっさらに受け止めてゆくしかない。主観を越えた全体を見る目、さらに子供、孫の成長を見てきた老人のような長期的な発達を見る目、これが問題を抱えた時に役立ちます。しかし、これがまた難しい… ここに職場が加わるともっと難しい。職場事情も育児休暇復帰後には自分自身の変化と同じくらい変化しているでしょう… 先のことを考えるのは大事ですが、それによって今なすべきことが中途半端になっては、将来の計画がどんどん離れていきます。それを私は何度も経験しているので、とにかく座禅会でいつもみんなで目標にしているカ「今、ここ」精神で毎日を過ごすようにしています。
2015年12月2日水曜日
娘の故郷思いと英語学習 Die Sehnsucht von meiner Tochter nach Heimat und Englisch Unterricht
久々に娘のこと。ドイツの学校では3年生から英語の授業が始まります。3年生になって3ヶ月もすぎたころになって気がついたことが、娘が全く英語の授業を理解していなかったということ… 英語に限って宿題もテストもなかった為に、全くもって娘の理解度を把握していませんでした。猛反省。担任の先生からもきっちりと報告を受け、まずいなあ、と頭を抱えました。娘にしてみれば、日本語、ドイツ語に続くさらなる言語取得。よく考えてみれば、そりゃ過酷… ドイツ語も日本語もなんなくクリアしていたので、全くもって危機意識を持っていませんでした。しょうがない、と重い腰をあげて私が英語を指導するも、発音が悪すぎる… 真似する娘が日本語訛りの英語発音になっているのがよくわかります。さらに未だに授業が全くわからないとのこと。これじゃまずい。これは家庭教師か公文かと悩んでいると、仲のよいイギリス人女性が、子育ての合間に子供に英語を教えていると知り即断。とっても温和で優しい彼女を娘もすぐに気に入り、毎週彼女を訪れるようになりました。
実は担任の先生からは、家で日本語をあまり話さないように、と言われましたが疑問だらけでまともに請け負いませんでした。私と娘のコミュニケーションが心からのものでなければお互いにストレスが溜まる一方です。もちろん私は私の母国語を通してでなければ、母娘のよりよい関係は築けないでしょう。これは養子縁組が決まる以前に受けたセミナーや専門家からのアドバイスでもあります。おまけに毎日ドイツ語だけなんて… 英語の先生の彼女もドイツでアジア人の旦那様と結婚し、かなりインターナショナルな言語環境にいます。その彼女も完全に私の考えに同意してくれました。
と、今回のブログのテーマは学校批判ではなく、娘の故郷思いです。娘はハイチにいる実の両親のことを覚えていますし、時々どんな生活をしていたか話します。最近は、大きくなったらハイチに行くことも考えているようです。先日は、大きくなったら貧しい両親にお金をあげるんだと言っていました。その会話から、どうやってハイチのママパパと話すのか。(ハイチの公用語はフランス語とクレオール語です。現地の人はクレオール語を話しています。娘はクレオール語は完全に忘れました。)お金はどうやって稼ぐのか。なんて話になり、フランス語を勉強すること。ちゃんと仕事をみつけること。の二つが彼女の関心ごととなりました。そしてフランス語を学ぶ為には、ドイツではギムナジウムに入学しなければ勉強できないわけで、娘の今の状況では恐らく入学は難しいでしょう。この高いハードルをどう超えるのか?が目下の関心ごととなったようです。よい意味での日々の学習の目標となってくれるように見守っていきたいと思います。
2015年9月23日水曜日
小学校の宗教の授業
ドイツの学校には宗教の授業があります。ほとんどの学校がキリスト教の授業ですが、最近ではイスラム教の授業なんかもあるらしいです。もちろん選択できます。授業を受けないことも可能です。
私が住む田舎の小学校には外国人自体が少ないので、選択肢は他にありません。やはり内容が気になるので、小学校に上がると同時に先生に聞いてみたところ、内容は宗教じゃなくてほとんど道徳だからとのこと。そんなこんなで1、2年生のころは授業内容もあまり気にとめることもなかったのですが、最近娘がうかない顔をしているので聞いてみたところ、授業がさっぱりわからないと言います。3年生になってから、カトリックとプロテスタントの2グループに授業が分かれました。この時にちょっと疑問に思ったのは確かです。道徳に宗派など関係ないはず…とりあえず様子をみていたところでした。娘が言うには、難しすぎて先生が言っていることがわからない。わからない言葉が多すぎる、他の子供達は手をあげてちゃんと答えられるのに、私はチンプンカンプンとのこと。よくよく話を聞いてみると、確かに時々教会に通ったりしない限り聞かない専門用語がずらり。うちの旦那は信仰心のほとんどないプロテスタントです。ゆえに、教会には結婚式や洗礼式なんかで招待されない限り、出入りすることはほとんどありません。娘がわからないのも無理ありません…なんだかかわいそうになると同時に、ちょっと真剣に考えてしまいました。
先日、教会税について書きましたが、ドイツ人にとって教会に所属するのはごくごく自然のことです。日本人が子どもの頃、お宮参りや七五三に行くように、いつのまにか親によっていづれかの宗派に所属し、大人になってから自分の意思で離脱したりする人間もいます。離脱するのは、自分自身で宗教について比較検討できる能力が備わった末の決断、と私は考えています。そのためには比較要素をきちんと理解しなければならない。宗教理解は他人理解にもつながります。そんな理由で、娘を授業に参加させていたのです。しかし、親がフォローできない授業を受けさせ、そこでおかしな劣等感を感じさせる必要はあるのか?道徳という観点が抜け、宗派の授業になるのは私も本意ではありません。ならば、私がきちんと説明できることを家で教えてあげるほうがいいのではないか?そんなことまで考えてしまいました。しかし、まだ8歳の子どもからしてみれば、みんなと一緒の授業を受けてナンボの世界。しばらく様子をみることにしました…
2015年9月7日月曜日
福島 桧原湖にて夏休み
ご無沙汰いたしております。ドイツの学校は今日から新学年のはじまりです。zenzai53も長い夏休みを頂いておりましたが、今日からまた活動しています。
夏休み中にあった色々な出来事をぽつぽつと書いていこうかと思います。今年もまた、実家の仙台に帰省しておりました。その間に、福島県の裏磐梯方面へ子供を連れて短期旅行をしてきました。裏磐梯は子供のころよく訪れた思い出の地です。今回の訪問は一体何年ぶりでしょうか。五色沼も桧原湖も子供のころのイメージと全く変わらず、美しいままでした。磐梯山頂への急な山道もそのまま。とても懐かしかったです。桧原湖でのカヤックと水遊びは最高でした。ドイツ人に「福島で夏休みを過ごした」というと、ぎょっとされます。福島という言葉には、原発事故のイメージしかありませんから。説明してやっと、夏休みが過ごせる場所があると知ると、半信半疑で納得してくれます。
原発事故については、日本国内でも急速にその興味が失われているのがわかります。しかし、地元福島の新聞やテレビニュースでは、未だに主要項目として大きく取り上げられています。新聞一枚にしても、大手紙と地元紙の温度差が異様に思われます。
未来への好奇心が、オリンピックをはじめこれから新しくはじまるものだけではなく、震災被害からの復興という好奇心へもっと目が向けられることを祈ります。オリンピック開催に関して多大な損失がすでに出ていますが、その分でどれだけ震災被害者の新しい住まいへの補助へなっていたかと思うと、日本国の名を背負った議員や開催関係者への不信がとまりません。オリンピックを開催しても、被災者にその利益はどれだけ落ちるのでしょうか。おそらく全く落ちないでしょう。
桧原湖周辺の旅行関係者が旅行者に向けて、被災者として未来への子供達にメッセージを伝えていました。子供達は真剣に聞いていましたが、それを聞く親御さんはどこか「ちょっとうざいな」という雰囲気があったのは事実です。
アダム・スミスが『道徳感情論』の中で言っています。遠い国の未曾有の被害が起こった後に、他国に住む者から「深い哀悼」の意が発せられたあとには、嵐の静けさのごとく、その遠方で起こったことは忘れ去られていく…悲しいかな事実です。じゃあ、私にどうしろっていうのよ、と不快に思われている方がいるかもしれません。その苛立ちの一端を私ももっています。まずは震災への興味を失くさないこと。その興味が日常生活の色々な場面で繋がっていることを発見し、それを知人に伝えたり、または援助団体に賛同参加したり、福島を訪れてみたり、子供に伝えてみたり…と、伝言ゲームのように繋がっていくといいですね。
夏休み中にあった色々な出来事をぽつぽつと書いていこうかと思います。今年もまた、実家の仙台に帰省しておりました。その間に、福島県の裏磐梯方面へ子供を連れて短期旅行をしてきました。裏磐梯は子供のころよく訪れた思い出の地です。今回の訪問は一体何年ぶりでしょうか。五色沼も桧原湖も子供のころのイメージと全く変わらず、美しいままでした。磐梯山頂への急な山道もそのまま。とても懐かしかったです。桧原湖でのカヤックと水遊びは最高でした。ドイツ人に「福島で夏休みを過ごした」というと、ぎょっとされます。福島という言葉には、原発事故のイメージしかありませんから。説明してやっと、夏休みが過ごせる場所があると知ると、半信半疑で納得してくれます。
原発事故については、日本国内でも急速にその興味が失われているのがわかります。しかし、地元福島の新聞やテレビニュースでは、未だに主要項目として大きく取り上げられています。新聞一枚にしても、大手紙と地元紙の温度差が異様に思われます。
未来への好奇心が、オリンピックをはじめこれから新しくはじまるものだけではなく、震災被害からの復興という好奇心へもっと目が向けられることを祈ります。オリンピック開催に関して多大な損失がすでに出ていますが、その分でどれだけ震災被害者の新しい住まいへの補助へなっていたかと思うと、日本国の名を背負った議員や開催関係者への不信がとまりません。オリンピックを開催しても、被災者にその利益はどれだけ落ちるのでしょうか。おそらく全く落ちないでしょう。
桧原湖周辺の旅行関係者が旅行者に向けて、被災者として未来への子供達にメッセージを伝えていました。子供達は真剣に聞いていましたが、それを聞く親御さんはどこか「ちょっとうざいな」という雰囲気があったのは事実です。
アダム・スミスが『道徳感情論』の中で言っています。遠い国の未曾有の被害が起こった後に、他国に住む者から「深い哀悼」の意が発せられたあとには、嵐の静けさのごとく、その遠方で起こったことは忘れ去られていく…悲しいかな事実です。じゃあ、私にどうしろっていうのよ、と不快に思われている方がいるかもしれません。その苛立ちの一端を私ももっています。まずは震災への興味を失くさないこと。その興味が日常生活の色々な場面で繋がっていることを発見し、それを知人に伝えたり、または援助団体に賛同参加したり、福島を訪れてみたり、子供に伝えてみたり…と、伝言ゲームのように繋がっていくといいですね。
2015年7月20日月曜日
国際養子縁組
先日、国際養子縁組のドキュメントをテレビでみました。デンマーク人夫妻がエチオピアから姉弟の二人を養子に迎える3年にわたるドキュメントでした。感想は「ありえない」の一言です。同じ養子親の立場として言葉を失いつつ見ました。
http://www.ardmediathek.de/tv/Reportage-Dokumentation/Dokumentarfilm-im-Ersten-Die-Adoption/Das-Erste/Video?documentId=29439670&bcastId=799280
ありえない一つ目は、養子(乳飲み子ではありません)が養子親に引き渡される直前まで、実親と子供が一緒にいること。何がいけないの?と思われる方がいるかもしれませんが、ちょっと想像してみてください。或る日突然慣れた親元から直接、言葉も通じない、肌の色も違う、生活様式も違う「未知の人間」の元に送り込まれる幼児はどのように感じるでしょうか。元の生活に戻りたい一心でもちろん反抗します。全身全霊で意思表示をします。そして養子親は途方にくれます。「こんな子供は望んでいなかった」と。このドキュメントでは4歳になる姉が、どこまでも拒否反応を示します。それに対してまだよちよち歩きの弟は、実親から引き離されたという感覚さえもまだはっきりしていないようで、理想の養子となっています。
問題は養子親。養子に限らず、子供がなんでもおとなしく言うことを聞く方がおかしいです。子供が泣く時、叫ぶ時、決まって理由があるはずです。それを理解しようともせずに、「支配者のごとく、この子供はうちの中を叫びで制圧しようとしている」なんて言葉が出てくることに絶句です。全く子供への共感はありません。ましてや養子という特殊状況も全く理解していません。よくこの夫婦は心理テストを通ったなと思いました。
結局、この姉の方の子供は、デンマークで里子として別の家族に引き渡され、のちにデンマークの孤児院に預けられたそうです。あってはならない状況です。かわいそうで言葉がありません。孤児院に預けられる直前に、「(あなたはいい子じゃないから)もうママもパパもできないのよ。」と、語る養子親は鬼です…この子の心の傷の大きさは果てしないです。
変わって養子に出したエチオピア人の夫婦はというと、養子に出したことで金銭援助がもらえると思っていたらしく、それがないとわかって落胆します。金銭援助があれば、人身売買になってしまいます。この夫婦は両方ともHIVポジティヴです。養子はネガティヴです。日々の薬代もままならず、6人の子供を抱えて迷った挙句の判断でした。
毎日、実の子がどうしているか気になってしょうがない。せめて発育報告書がみたいと駆けずり回ります。この発育報告書は、どの国際養子縁組者も、定期的に提出しなければならない義務となっています。この報告書は母国の関係団体に送られ、実親がそれをみたければいつでも見れる仕組みです。私たちも定期的に写真と一緒に提出しています。この報告書にたくさんうれしかったことや楽しかったことが書けるといいね、きっと実のパパとママも喜ぶよ、と私たちは説明しています。この報告書が1回のみで、それ以降数年分が全くこのエチオピア人の実親には届いていませんでした。デンマークで何がおこっているのかまったく耳に入らないわけです。約束と違う、というわけで実親は怒り心頭に達します。
この養子縁組団体は違法ということでもう存在しないらしいですが、どれだけ不幸な子供がヨーロッパに送られたかと思うと胸が痛いです。エチオピアは当時ハーグ条約に加盟していませんでした。日本は最近になって加盟したようですが、もっと大きく取り上げて欲しいです。日本はこの条約の草稿に参加していますが、加盟はしないという何とも不可解な立場に長くいました。その理由は「日本人に限って養子なんて」というつまらない驕りから来ていたのは事実でしょう。実際、某国会議員が発言していたのを記憶しています。
今日は興奮して、なんだかまとまりのない文章になってしまいました。日本ではまだまだ特別養子縁組が日の目をみませんが、ここドイツから養子親のひとりとしてこれからも発言していきたいと思います。
http://www.ardmediathek.de/tv/Reportage-Dokumentation/Dokumentarfilm-im-Ersten-Die-Adoption/Das-Erste/Video?documentId=29439670&bcastId=799280
ありえない一つ目は、養子(乳飲み子ではありません)が養子親に引き渡される直前まで、実親と子供が一緒にいること。何がいけないの?と思われる方がいるかもしれませんが、ちょっと想像してみてください。或る日突然慣れた親元から直接、言葉も通じない、肌の色も違う、生活様式も違う「未知の人間」の元に送り込まれる幼児はどのように感じるでしょうか。元の生活に戻りたい一心でもちろん反抗します。全身全霊で意思表示をします。そして養子親は途方にくれます。「こんな子供は望んでいなかった」と。このドキュメントでは4歳になる姉が、どこまでも拒否反応を示します。それに対してまだよちよち歩きの弟は、実親から引き離されたという感覚さえもまだはっきりしていないようで、理想の養子となっています。
問題は養子親。養子に限らず、子供がなんでもおとなしく言うことを聞く方がおかしいです。子供が泣く時、叫ぶ時、決まって理由があるはずです。それを理解しようともせずに、「支配者のごとく、この子供はうちの中を叫びで制圧しようとしている」なんて言葉が出てくることに絶句です。全く子供への共感はありません。ましてや養子という特殊状況も全く理解していません。よくこの夫婦は心理テストを通ったなと思いました。
結局、この姉の方の子供は、デンマークで里子として別の家族に引き渡され、のちにデンマークの孤児院に預けられたそうです。あってはならない状況です。かわいそうで言葉がありません。孤児院に預けられる直前に、「(あなたはいい子じゃないから)もうママもパパもできないのよ。」と、語る養子親は鬼です…この子の心の傷の大きさは果てしないです。
変わって養子に出したエチオピア人の夫婦はというと、養子に出したことで金銭援助がもらえると思っていたらしく、それがないとわかって落胆します。金銭援助があれば、人身売買になってしまいます。この夫婦は両方ともHIVポジティヴです。養子はネガティヴです。日々の薬代もままならず、6人の子供を抱えて迷った挙句の判断でした。
毎日、実の子がどうしているか気になってしょうがない。せめて発育報告書がみたいと駆けずり回ります。この発育報告書は、どの国際養子縁組者も、定期的に提出しなければならない義務となっています。この報告書は母国の関係団体に送られ、実親がそれをみたければいつでも見れる仕組みです。私たちも定期的に写真と一緒に提出しています。この報告書にたくさんうれしかったことや楽しかったことが書けるといいね、きっと実のパパとママも喜ぶよ、と私たちは説明しています。この報告書が1回のみで、それ以降数年分が全くこのエチオピア人の実親には届いていませんでした。デンマークで何がおこっているのかまったく耳に入らないわけです。約束と違う、というわけで実親は怒り心頭に達します。
この養子縁組団体は違法ということでもう存在しないらしいですが、どれだけ不幸な子供がヨーロッパに送られたかと思うと胸が痛いです。エチオピアは当時ハーグ条約に加盟していませんでした。日本は最近になって加盟したようですが、もっと大きく取り上げて欲しいです。日本はこの条約の草稿に参加していますが、加盟はしないという何とも不可解な立場に長くいました。その理由は「日本人に限って養子なんて」というつまらない驕りから来ていたのは事実でしょう。実際、某国会議員が発言していたのを記憶しています。
今日は興奮して、なんだかまとまりのない文章になってしまいました。日本ではまだまだ特別養子縁組が日の目をみませんが、ここドイツから養子親のひとりとしてこれからも発言していきたいと思います。
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